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■2005/01/23 (日)
三島霜川・正六――水上勉 |
正確なところは私自身未確認なので、後日訂正することもあるという前提でのメモです。
先日来ここに名前を出している三島霜川の子息・三島正六(しょうろく)氏も小説家だったようである。
そしてこの正六氏が上京〔1945.4〕したての水上勉の東京での生活に関わっていたこともわかってきました。水上の東京での第二の就職先・報知新聞を世話したようなのである。
(「東京紅團」の「水上勉を歩く」〔戦前の東京を歩く〕参照)
http://www.tokyo-kurenaidan.com/mizukami-tokyo11.htm
〔追記〕
なんと、『三島霜川選集〔上〕』(1979.4)に、水上勉氏が「三島霜川一家と私」という温かなエッセイを寄せていました。全文引用したいところですが、書き出しの部分だけ;
“三島正六さんは私の上京間もないころに知りあった先輩で、職もなく、めしも喰えずぶらぶらしていた私を、報知新聞に入れて下さった恩人である。私は三島さんを同人雑誌の仲間の紹介で知ったのだが、一度逢っただけで、私のことを気にかけて下さって、そのころ三島さんが記者をしていた報知新聞へ世話して下さった。自分のつとめている社へ、つきあいも浅くて、迂散くさい顔をして酒ばかり呑んでいる私などのような田舎出身の文学青年を、なぜあんなに親切にして下さったのか、あとで考えると、私が日本海辺の農村から、才能もないくせに、文学をやろうとの志を立て、上京まもない境遇への、三島さんなりの同情だったようだ。私は報知新聞の給料が安くて、折角世話してもらった校正課員の職場に不満をもらすと、快くきいて下さって、出版社の学芸社へうつらせ、また、そこが面白くなくなると、朝鮮へゆかぬかと、自分が転勤することに決まった京城日報へ誘って下さった。私は健康上の理由で朝鮮ゆきを固辞したが、あの時、三島さんに随って京城へ行っていたら、私の人生もまた,少し違っていたのではないか、と思う。
三島さんが、明治文学では著名な霜川さんの息子さんであることは、報知新聞時代からわかっていたが、私が霜川のことを知るようになったのは三島さんが京城へ行って消息を絶ってからだった。すでに戦後になっていた。”
*三島正六 1917.03.25〜1986.07.03
*水上 勉 1919.03.08〜2004.09.08
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