めぐり逢うことばたち

短詩・樹花たまには歴史の歳時記 by かぐら川

2005年03月08日

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さるさる日記
■2005/03/08 (火) 霜川と一葉の「法真寺」

昨日書こうと思って書けなかったこと、ほんとに大したことではないのですが、メモ程度に書いておきます。

三島霜川は徳田秋声との二度の共同生活(明治34・35)の間に、いっとき本郷に住んでいたことがあって(それは、そこから出された書簡が残っているのでわかるのですが)、「ふ〜ん、本郷にもいたんだ」程度にしか思っていなかったのですが、日曜日に明治期の地図――今まで何度か紹介した『古地図・現代図で歩く 明治大正東京散歩』です――で、その地番を確認していて、「え〜っ!」霜川はこんなところにいたんだと、ほんとに驚いてしまったのです。

“本郷区本郷六丁目九番地”

本郷六丁目は、本郷通りに面した町でした。そして現在の東京大学の赤門の真ん前なのです。別に、“赤門のど真ん前”に驚いたわけではありません。ここにはあの一葉ゆかりの「法真寺」〔浄土宗〕があるのです。
法真寺は旧地番で本郷六丁目六番地。そして、九番地は、その真横(寺に向かって右横)なのです。霜川は、「九番地奥長屋」と書いていて、確かに地型は奥行きのある細い土地です。

霜川のデビュー作「埋れ井戸」が、一葉の「たけくらべ」以来の少年少女期文学の秀作と一部で評価されたこと、以前(1/22)紹介しましたが、(この二人に交渉はまったくありませんでしたが)一葉が少女期を過ごした地に霜川も一時住んでいたとは、奇遇ではありませんか。まぁ、それだけの話ではあります。
(一葉が、4〜9歳の少女期を過ごしたのは、本郷六丁目五番地、寺の左横前にあたります。霜川が住んだのは約20年後。)

ただ、霜川が友人に宛てたその書簡の中で、“窓の下は古墳塁々として塔婆海苔麁朶の如く立つところ、一種の臭気を含む湿気は境に充満致し居り候。”と書いているのは、まさに法真寺の墓地のことで、一葉資料としても少しは、省みられていいものかと愚考もするのです。

〔後記:2005.9.4〕
上に紹介した霜川の手紙は、高橋隆之祐〔高橋山風〕宛てのものですが、そうした情報は野口冨士男氏の「三島霜川私見」(『三島霜川選集下巻』〔1980.1〕寄稿)によって知りました。
ところで、上の日記を書いた3月の時点では野口冨士男氏がどのような方かまったく存じ上げていませんでしたが、9/2に金沢の《徳田秋聲記念館》によった折、氏の著書『徳田秋聲ノート』(1972.6)を買ったことでかなり詳しく知るにいたりました。(氏に永井荷風についての著作があることは6月くらいには知ったのですが。)

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