めぐり逢うことばたち

短詩・樹花たまには歴史の歳時記 by かぐら川

2005年04月17日

2005年4月
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930


過去の日記
最新の日記
全て表示

日記内を検索


お気に入り
めぐり逢うことばたちB-2
めぐり逢うことばたちB
《霜川年譜》などメモ帳
リンク集
東京の賢治
三島霜川メモ
おくのほそ道奇行


さるさるおすすめ
こだわりショッピング
無料日記を借りよう!


日記を編集
パスワード

count

さるさる日記
■2005/04/17 (日) 三島霜川と横山源之助

この日記でたびたび取り上げている三島霜川と横山源之助について二人の後輩格にあたる小説家中村武羅夫が「三島霜川と横山源之助」(『明治大正の文学者』〔留女書店/1946.6〕所収)という論評を書いていることを今日偶然二つの資料から知りました。

その冒頭部分を、立花雄一『評伝横山源之助――底辺社会・文学・労働運動』(創樹社/1979.4)から書き写しておきます。

“明治年代の文学者の型――といふよりも、むしろ明治時代の人物の興味ある一種の型として、考えて見たい人が二人ある。三島霜川と横山源之助とである。
霜川は作家、源之助は批評家である。
あとでわかったことだが、三島さんは家賃か、米代か、とにかくせっぱ詰って必要な金の工面に出かけて、その帰りに僕たちのところに寄って、三日間ものほほんと過ごしてしまったわけだ。折角工面した金も、迎ひを受けて慌てて帰る時には、すっかり使ひ果たしてゐた。
さういふ三島霜川のことを想ふ度びに、明治文人の共通のタイプとして、私は、いつでも横山源之助のことを想ひ出すのである。霜川は越中国の生れだが、源之助も確か同国か、能登か、とにかくあの方面の産だつたと思ふ。今、それを調べてみたいと思っても、ハッキリしたことを調べる手懸かりがない。私が今でも記憶しているところでは、たしかに源之助の言葉の訛りや、発音などには、そんなところがあった。それに「タイプ」と言ひ、「感じ」と言ひ、二人はよく似てゐる。
私は、偶然の縁故から、源之助の臨終に立ち合ったが、妻子もあり、家庭も持ってゐたのだが、自分はその時人の人の家の二階借りをしてゐて、そこで息をひきとった。よそ眼から見たところでも、主観的にも、決して幸福とは言へなかった。臨終の傍らにゐたのは、友人といふやうなものとしては、私一人であった。”

*中村武羅夫 1886.10.04〜1949.05.13

☆話題のブログを始めよう!☆
魔法の☆ブログ オートページ かんたんブログJUGEM かわいいブログ ヤプログ!