めぐり逢うことばたち

短詩・樹花たまには歴史の歳時記 by かぐら川

2005年05月08日

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さるさる日記
■2005/05/08 (日) 「済生学舎」のこと(メモ)

三島霜川がいっとき学んだことがあるという「済生学舎」のことがわからないかなと思って調べていたのですが、2年前、文京ふるさと歴史館で買った「ぶんきょうの史跡めぐり」に詳しい説明がありました。

野口英世が学んだということで知られている私立の医学校「済生学舎」ですが、とりあえず、その場所に関する説明部分だけ書き写しておきます。

“明治9(1876)年、長谷川泰(たい/1842〜1912)により本郷元町一丁目66番地に済生(広く民衆を救うという意味)学舎が創設される。同12年学舎全焼。同年元町一丁目11番地で講義再開。同15年湯島四丁目8番地〔現・湯島1-7-5〕の一千余坪の敷地に学校・寄宿舎を新築移転して、「蘇門病院」(貧しい人の治療施設)を併設した「東京医学専門学校済生学舎」となる。明治13年には350名の在学生がいたという。”

唐沢信安『済生学舎と長谷川泰』という本があるようです。
http://www.nms.ac.jp/dosokai/hasegawa.htm

創設の地〔本郷2-7-8〕には、プレートが立てられているようです。
http://www.fsinet.or.jp/~fight/mizoguchi/kikou/orizuru.htm

なお、三島霜川がここに学んだということについては、はっきりとした根拠はないようです。この点、後日。

また、樋口一葉のいとこ幸作が治療のため入院した丸茂病院の丸茂文良氏はこの済生学舎の教授も勤めていたようです。
“済生学舎の外科丸茂文良学士は東京大学スクリーバ教授の勧めにより鹿島清兵衛の援助を得て,医学者として初めてレ線発生実験に成功し,細菌に対する影響についても研究している。(1896)”http://www.ricoh.co.jp/net-messena/ACADEMIA/JAMIT/MITVM/TATENO/rekishi.html

〔追記〕
“丸茂文良は、山梨県北巨摩郡多摩村元小倉村の出身で、明治23年、東京大学医学部を卒業した。ベルツと併称されたスクリッパの高弟であった。外科を専攻、助手として研究室に残ったが、26年に丸茂病院を開業した。この病院は、上野桜木にあった桜木病院を引継いだものであった。”
和田芳恵『新装版 一葉の日記』(講談社学芸文庫)251pp

■2005/05/08 (日) 3冊の小さな本〔新書・文庫〕

・和田芳恵『新装版 一葉の日記』(講談社学芸文庫/2005.4)
これが50年前に書かれた本なのだろうか。一葉研究の現状についてはまったく無知な私であるが故にか、今書かれたばかりの本のような現場感覚(著者の真実に迫ろうとする執念のようなもの)が、伝わってきて一気に読み通しました。

・義江明子『つくられた卑弥呼』(ちくま新書/2005.4)
この本、ヤマト政権に征伐される対象であった野蛮な「土蜘蛛」の首長に女性の名が多く記されている(諸「風土記」)という驚くべき指摘から始まります。古代家族史の観点から通説(卑弥呼論についてだけではない)に、新たな像を対置した説得力に満ちた本。
きちんと内容を紹介できる素養がありませんが、古代史だけでなくジェンダー論にまで及ぶ視野にわくわくしながら読みました。僭越な言い方ですが、新書という形でこのような著者・著書を世に出してくれた編集者にも感謝。

・横山源之助『下層社会探訪集』(立花雄一編/社会思想社/1990.6)
今は入手できない現代教養文庫の一冊。『日本の下層社会』刊行前後の論説が収められている。ここかしこに目からうろこの主張が、新聞論説ならではのレトリックでちりばめられています。一葉の「わかれ道」に登場する傘屋の吉が「新網」の角兵衛獅子だったということも「都会の半面」という論説で納得。
『下層社会』以前に書かれた論説が、そのまま一葉の「奇跡の十四ケ月」(和田芳恵)と同じ時期に書かれたものであることも、不思議な思いがします。

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