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■2005/12/05 (月)
霜川メモ:霜川と露風(1) |
三木露風(本名:操)が17歳で上京した翌年(1906〔M39〕)、ある事件で父の不興を買い一時大垣市の美濃新聞の記者として過ごし、再上京したとき転がり込んだのが三島霜川のもとでした。
霜川は徳田秋声との二度目の同居(1901)を解消した後おそらく都内を転々としたのではないかと思うのですが、何かの縁があったのでしょう、――おそらく1905〜1907の二年間ほど――木戸孝允の屋敷内に住むことになったようです。
その霜川のもとに三木露風が一年ばかし同居することになったのです。
このあたりのいきさつ、三木露風の研究書をのぞいてみたいものだと思っています。
(霜川の子息正六氏が露風の思い出を語っておられるので、霜川と露風の交流はその後も続いたようなのですが。)
この時、木戸孝允は既に亡くなっていますが屋敷は豊島区駒込にあったようです。後に日中戦争の戦火で焼失した木戸邸はかなり大きなものだったようですが、今、木戸坂という地名を付近に残しています。
が、ここで今の私によくわからないのが、木戸邸は文京区(当時本郷区)に接した豊島区なのですが、当時の霜川の居住地を動坂としたものがあるのです。木戸の広大な屋敷地は区境を越えて本郷区の動坂あたりまで広がっていたのでしょうか。
「廃園」に向けて意欲的に詩作活動に向かっていく露風に霜川はどういうそんざいであったのでししょうか。
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