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■2005/12/06 (火)
霜川と露風(2)〔露風全集より〕 |
『三木露風全集』第一巻〔1971/三木露風全集刊行会〕の解説(家森長治郎)に、露風と霜川についてふれた部分があるので、書き写しておきます。
“露風は医師または商人になることを期待していた祖父三木制や父三木節次郎の意向に反して、文学で自立しようと決意し、遂に閑谷校を七月一日付で退学し、八月二十日に上京、すでに四月に上京していた有本芳水の下宿に身を寄せる。二人は競うように「電報新聞」の懸賞詩歌募集に応募し、九月二十四日には露風の詩「秋」が河井酔茗の選で一等入賞作として同紙上に発表され、賞金五十銭を獲得するということもあった。
また回覧雑誌「聚雲」(高田浩雲編集)の会に参加し、正富汪洋・前田夕暮・若山牧水・北原白秋と交わって詩歌の制作にひたり、作品を「文庫」「新声」「新潮」「白鳩」等に寄せる。「文庫」や「新声」に投稿した短歌が選者尾上柴舟に認められ、やがて柴舟主宰の車前草社に有本芳水とともに迎えられ、露風の詠草が翌三十九年一月から六月まで、「新声」誌上に「車前草社詩稿」として掲載される。また三十九年には、堺の「ホノホ」、尾道の「小琴」、姫路の「鷺城新聞」にも作品を寄せている。当時の露風には、「車前草社詩稿」の詠草や「ホノホ」誌上の「敗荷」等短歌の佳作も多いが、詩の分野においても、「花小傘」「恋の家島」「櫟林に立ちて」、放水との合作「白鷺城回想の賦」等の力作もある。
露風は明治三十八年十月、東洋商業学校に入学したのであるが、学業を余所にして制作に耽り、生活の乱れもあったらしく、三十九年の夏帰省した時、父に厳しく叱られて勘当同然となり、岐阜の小木曽旭晃のもとに赴いてその斡旋で大垣の「美濃新聞」に月給十二円の記者として務めるのである。しかしそれも一箇月余りでやめ、九月二十三日には上京して三島霜川宅に寄寓し、その庇護を受けながら創作に励む。明治三十九年の後半は、露風にとって最も暗く苦しい時期であった。”
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