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■2006/01/19 (木)
三島霜川の明治四十一年 |
関川夏央『二葉亭四迷の明治四十一年』(文春文庫)というおもしろそうな本を偶然店頭で見つけ、読了。
が、へたくそな感想を縷々書こうにも、漢字変換にも時間のかかるパソコンでは無理だということが判明。(先日来の書き込みは、別のパソコンで書いたものです。)
で、関川さんの本に触発されて思い出したことをつなぎ合わせて、なんとか報告の形にしてみました。
関川さんの本は、二葉亭四迷の最後の旅となったロシア行の送別会のエピソードから始まっているのですが、この歓送会の参加者については、「明治四十一年六月六日、上野精養軒」の書き出しに「三、四十人の男たちがつどった」と書き出されています。(節末には「上野精養軒で催された送別会には三十九人が集まった。そのうち記念写真に写し込まれたのは三十六人だった。」と正確なデータが載っていますが。)
実はこの「三、四十人の男たち」に、三島霜川も含まれているのです。
(この時の記念写真は、早稲田大学の「早稲田と文学」というサイトで見ることができます。↓)
http://merlot.wul.waseda.ac.jp/sobun/column/03/clm03-01.htm
この歓送会の名義上の発起人は坪内逍遥と内田魯庵。仕掛人は当時博文館の館員だった田山花袋ら。霜川に声がかかったのは、花袋→徳田秋声→霜川のルートだったと思われます(あるいは横山源之助〔当日欠席〕→霜川のルートもあるか)。
ただ参会者相互だけでなく主賓の二葉亭四迷こと長谷川辰之助と面識のない者も多かったというのですから驚きです。とすれば、霜川と四迷の間にも交遊はなかったと考えた方がよいかも知れません。〔追記:この点は訂正必要のようです。〕
関川さんのコピーを使わせてもらえば、《三島霜川の明治四十一年!》というテーマも浮かんできます。前年、「解剖室」の好評と「虚無」の不評という一つの画期を迎え、「小説」の創作から距離をおきはじめる霜川苦渋の日々の始まりの時期なのです・・・。
そんなことも少しずつ追っかけてみたいと思っています。
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