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三島霜川が三木露風と知り合ったころの(1906〜1907〔明39〜40〕)、霜川の居所がどこであったのか?、今までの霜川年表に見られるように「木戸邸内」というところから追っていくと豊島区の駒込になりますし、露風が大学への提出した書類によれば文京区の駒込動坂になります。
動坂町105がその「木戸邸内の番小屋」(?)の所在地番にあたるのか、木戸邸内と動坂の二つの住居は近いとは言え違った場所――例えば最初に住んだのが木戸邸内で、しばらくしてから動坂に移った――なのか、不明です。
いずれにせよ、本郷を田端に結ぶ地である動坂は尋ねてみたい場所で、次回の東京散策の候補です。
私としては気になるのが、露風の書類には保証人を三島才二(霜川)としながらも、現住所を徳田秋声方にしていることです。
たんなる書き間違えとも思えません。どういう意図があったのでしょうか。強いて、間違いという線で考えるなら、住所を三島霜川方、保証人を徳田秋声にするつもりだったのに混同してしまったということです。徳田秋声の方が当時すでに作家としては知名度があったはずですから保証人としてはうってつけです。〔追記:秋声は、1907年6月に西園寺公望主催の文学者の会(のちの雨声会)に呼ばれています〕(いずれにせよ露風は霜川を通して秋声とも知り合ったはずです。)
ここであらためてこの時期の霜川について確認しておきたいのは、
1.霜川が徳田秋声との小石川での同居(1902.6から同7)を解消した後、どこを転々とし、いつ・どういう経緯で木戸孝允に因縁をもつ地に住むようになったのか。
2.この駒込近辺の地を去って芝区二本榎〔現:品川区高輪一丁目〕に移ったのがいつなのか。
3.霜川が終生のつき合いをもち、しかも霜川の最期を看取った水守亀之助と出逢ったのもこの駒込時代のようなのですが――亀之助が(同郷故か?)露風を尋ねてきたことが機縁のようです――そのいきさつ・・・。
それにしても、1906〜7という時期は、霜川にとっても露風にとってもその創作の模索ということでは悩みの多い時代であったはずです。そこに私は、霜川と露風の単なる同居人の関係ではなく、何かお互いの琴線に触れ合う交わりがあったような気がしてならないのです。
この点は、二人の作品を読みながら時間をかけて考えてみたい課題として残しておくつもりでいます。
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