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東京に行くのは年に一度程度なものですから、私の東京体験はいくつかの「点」でしかないのですが、今回訪れた動坂一帯は愉しい気分の場所――といって特別の施設等があるわけではないのですが――という記憶が残っています。
おそらく駒込病院の横の駒込公園、動坂公園など、あるいは近くで出逢った下校時の子供たちの笑顔が、私の動坂のイメージにそのままなっているようなのです。
この晴れやかな明るさは、実はこの地に小説家として居所をもっていた三島霜川の生誕地の雰囲気とも不思議に私のなかで合致して、霜川のイメージを今までよりもくっきりとしたものにしてくれました。
霜川の小説は暗いイメージで語られることが多いのですが、――それは彼の“負の代表作”「虚無」のタイトルにひきづられているのではないかと思えてなりませんが――、彼の理知的な面が登場人物の生き方の芯の強さにつながっていると私には思えて、作品からは本質的な暗さを感じないのです。
〔追記:この日記には報告が抜けているのですが、高岡市下麻生にある彼の生誕地跡には何度か足を運びました。庄川に沿って射水平野を南北に走る(現在はかなり交通量の多い)道筋に面して彼の生家〔三島病院〕はあったようです。現在は、道路脇といっても背後は一面の田圃で、生誕地の碑のみで家の跡などまったくないこの場所からは、東に立山連峰が北西には二上山が、南には牛岳が見渡せ、私にはこの場所の清澄な空気が霜川の作品イメージと重なっています。なお、生誕地の碑についてはいづれ小報告をと思っています。〕
霜川の動坂における居所は、同居人だった三木露風の学籍資料によれば、動坂105番地。駒込公園の角を曲がり、天祖神社の参道を正面に見て右の小路に、古い地番が記載された地図を見ながら入ってみました。
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