| 2006年5月 |
| 日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
| | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
| 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
| 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
| 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
| 28 | 29 | 30 | 31 | | | |
過去の日記
最新の日記
全て表示
お気に入り
めぐり逢うことばたちB-2
めぐり逢うことばたちB
《霜川年譜》などメモ帳
リンク集
東京の賢治
三島霜川メモ
おくのほそ道奇行
さるさるおすすめ
こだわりショッピング
無料日記を借りよう!


|
この日記の「3月16日」の項に、
《「神楽坂」ですぐ思い出すのは、鏡花や秋声の師であった尾崎紅葉の家〔横寺町47〕なのですが、三島霜川もそこには何度か出入りしているのです。
『三島霜川選集』の「年譜」、明治29年(1896)の条に、“尾崎紅葉の「十千萬堂塾」に入り、硯友社の同人となる。”》
と、引用を含めて書いたのですが、霜川の「十千萬堂塾」入りは、疑問と思われてなりません。
霜川旧知の田中涼葉と、――涼風を介して霜川と知り合うことになった――徳田秋声の二人がこの塾に参加したことで、霜川もこの塾に顔を出していたことは間違いないとしてもです。
秋声の動向の確認も含めて、松本徹氏の「徳田秋聲/年譜」より十千萬堂塾に関わる部分を摘記しておきます。
明治29年(1896)
11月、博文館を退社。12月、小栗風葉の誘いを受け十千萬堂塾(詩星堂とも。紅葉宅と裏つづきの家)に入り、柳川春葉を加えた三人で共同生活。やがて田中涼葉、中山白峰、泉斜汀らが加わる。
明治31年(1899)
2月、十千萬堂塾が解散、牛込の下宿に。
・・・ところで、霜川と秋声を結びつけた田中涼葉――涼葉は、十千萬堂塾での共同生活の前は、霜川の本郷弓町の下宿に寄留していた〔霜川十代中頃、二人は金沢で知り合いになっていたと思われる〕――のことも知りたいのですが、これもなかなかむつかしいようです。
|