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■2006/07/31 (月)
霜川・秋声・涼葉(3) |
本郷弓町について少しずつ情報がふえています。その点、まとめてみたいと見たいと思いますが、弓町探索の目的の一つ、三島霜川の下宿の所在地についての具体的情報は見あたりません。
出発点に戻り、秋声の『文章世界』(M40.2.15)に書いたエッセイ「紅葉先生の塾」から肝要な部分を抜き書きしておきます。
(ちなみに『文章世界』は、明治39年3月創刊の“博文館”の月刊誌〔〜大正9年12月終刊〕)
“塾を組織するについては、僕などは先ず門外漢で深いことは知りませんが、其の時分僕は本郷の下宿におりまして、芳賀博士の何か編纂ものの手伝いをしてお世話になっておりましたが、本郷弓町の下宿に三島霜川君がおりまして、其処に田中涼葉という同門の人が肺病でしたが霜川君の世話になっておったのです。其処へ桐生、小栗、其れに僕が能く尋ねて行きまして、勿論其の前から横寺町の玄関で小栗とは識っておりますが、打ち解けて懇意になったのは此の涼葉君のいた下宿です。其の時分小栗君は確か「寝白粉」で一寸名を出した頃だと思います。(中略)とにかく其処で小栗君と交際しているうちに、文学上の気炎など吐きあっていたと思うのです。其の小栗君が或る時、玄関は狭くて書くのに具合が悪いから、今度皆で一つの家を借りて、塾のようなものを拵えようと思うが、是非入らないかと云って勧誘したのです。正直なところ、僕は北国流で少し偏狭な方ですからこういうことは余り好まなかったのですけれど、併し作物の研究には非常に便利だと思って意を決して仲間入りしたのです。同人は小栗に柳川、其れに田中、僕と此の四人でした。”
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