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17歳の中也が3歳年上の長谷川泰子とともに、上京したのは、3月10日――今から82年前の1925[大14].3.10――であった。中也には始めての東京である。
前月2月23日付けの友人・正岡忠三郎【正岡子規の叔父加藤恒忠の三男つまり子規の従兄弟で、子規亡き後、妹・正岡律の養子となる】宛ての住所移転の手紙《居所変りました 市内中筋石薬師上ル角 高い二階、東側の壁の上にスペイン式窓がありますよ》が残っているので、――中也ファンには“スペイン窓の家”として知られる――京都最後の下宿には3週間もいないで東京に移ってきたことになる。
そして中也にとって残されている生は12年余であり、その12年余を中也でしかありえない生き方で彼は生きた。
ところで彼が幼年期をすごした金沢時代を振り返った――25歳のとき、金沢を再訪したことを機縁に書かれた――短文「金沢の思い出」を読みたいと思っていたのですが、今日、偶然目にすることができました。
その中に、どうしてもメモしておきたい一節があるのです。
野田寺町の家の《隣りはタカジアスターゼの兄さんか弟の家で、子供が八人くらいいて、ひどくにぎやかっだ。》
「タカジアスターゼ」だけで、高峰譲吉の名前が想起されるほどこの頃、タカジアスターゼは有名だったのですが、その高峰譲吉の兄か弟かの家が、中也の家の隣りにあったというのです(当時、譲吉本人は、ニューヨーク在)。譲吉は確か長男のはずなので、それは譲吉の弟の家ということになろうかと思うのですが、今、譲吉の詳細な資料がないので弟の名前も確認の仕様がありません。
折をみて、金沢でのこの不思議な二人の「間接的な」接点も調べてみたいものです。
〔追記〕
上のように書いてから、少し不安になっていろんな年譜を見たのですが、彼の上京は〔大正14年3月〕とどの年譜にも記載されていますが、〔10日〕と日付を明記したものがないのです。私の思い込みかもしれないのですが、ここはそのままとして、これも後日確認します。
〔追記:2〕
正岡忠三郎については、↓にいろんなエピソードが紹介されています。
http://www.eonet.ne.jp/~kumonoue/
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