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1942(昭17)年7月5日。この日、国際政治学者・細川嘉六氏の『植民史』の出版慰労会が、氏の出身地富山県朝日町(当時泊町)の料亭紋左で開かれました。2ヶ月後(9月14日)、細川氏が、『改造』に発表した論文「世界史の動向と日本」によって治安維持法違反で検挙され、その後、――料亭で撮られた一枚の記念写真が、共産党再建のための会議の証拠写真とされ――雑誌の編集者ら約60人が次々と検挙されて、戦前最大の言論弾圧事件「横浜事件」となりました。
・横浜事件については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E4%BA%8B%E4%BB%B6
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yokohamajikenn.htm
(↑に、7月5日の料亭での記念写真もあります。)
と、書いたものの私は「横浜事件」についてなにほどのものを知っているわけでもありません。むしろ、なにかの機会をつかまえて、この事件の経緯と現在について学び始めたいと思っていました。この書き込みは、私の「横浜事件学」の事始めのつもりです。これからまた少しずつ書いていきたいと思っています。
*細川 嘉六
1888.09.27〜1962.12.02
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■2007/07/04 (水)
仙翁花――センノウから(3) |
現在、フシグロセンノウ、マツモトセンノウ、スイセンノウなど「センノウ」の名を含む花がいくつもありますが、おおもとの「センノウ(仙翁花)」そのものは、幻の花?になってしまっているようです。
花園大学国際禅学研究所のHPに「仙翁花(せんのうけ)― 室町文化の余光 ― 」という論文がありました。
http://iriz.hanazono.ac.jp/frame/yoshi_f03.html
まだ、全部に目を通していないのですが、中世においては七夕に仙翁を贈答する風習があったことなど、興味深い事項が述べられています。
また、我が富山県の中央植物園の「中央植物園だより」という広報誌(2003/10・11・12)に、《よみがえる幻の園芸植物センノウ》というフォーラムが掲載されています。ここには、上に紹介した論文の著者・芳澤勝弘さんなども出席されていて、現在のセンノウの植生のほか、おもしろい話題がたくさん報告されています。
http://www.bgtym.org/tayori/29tayori.pdf
正直なところ、「センノウ」が中心的な役割を果たす“七夕”のこうした風習については、まったく知らなかったのですが、この機会にいろんな文献を渉猟して読んでみたいと思っています。
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■2007/07/03 (火)
『雍州府志』――センノウから(2) |
岩波文庫『雍州府志』(黒川道祐著/宗政五十緒校訂)の(上)が店頭にあり、購入。
こういう江戸時代の地誌は(京都のことを何も知らない私にさえ)時間を忘れさせるほど魅力的です。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/33/9/3348410.html
あらためて「仙翁寺」の全文を、この岩波文庫の『雍州府志』(309p)から抜き書きしておきます。
“仙翁寺 清涼寺の北に在り。今、寺は絶え、村の名となる。元(もと)、本尊阿弥陀は恵心の作る所なり。今、民家に在り。又、土人、畑山の霊社と号するは、古え仙翁寺鎮守の八幡宮なり。此の寺の跡、仙翁花、蕃茂す。仙翁花の号、此れに本づくか。”
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■2007/07/02 (月)
みごとなパトス継承論 |
宮下隆二『イーハトーブと満洲国』(承前)
田中智学の弟子という視点から、異質と思われれている宮沢賢治と石原莞爾を併せて俎上に乗せ、イーハトーブと満洲国の理想郷としての共通点を解明してくれるスリリングな著書、と思ったのですが・・・。
“んーっ、残念”というのがいつわらざる感想。
日蓮→田中智学(国柱会)→石原莞爾と引き継がれた“パトス”については筆者の筆致はすばらしく説得的でしたが、智学のもう一人の継承者宮沢賢治については、石原莞爾と並べられているものの、それほどパトスの継承は浮かび上がってこないのです。一方、満洲国を「理想郷」や「ユートピア」と筆者が呼んでいるにも関わらず、その点の積極的な論及はほとんどないのです(智学→莞爾への“ロゴス”の継承が語られていない、というべきでしょうか。)
ユニークな問題設定にかかわらず論証不足という感が否めません。大事な論点が綿密な実証的な研究によって補われず、一般論の積み重ねですり抜けられるのも困るのです。どうして筆者はこういう大きな論点をみごとに設定しておきながら、何を急いで本をつくる必要があったのでしょうか。
なお、最終章の「現代を映す鏡」中の最終節「夢の喪失と再創造」は、――宮下氏の賢治論・莞爾論を「混迷の現代に逆照射し」たものということですが――その論旨が私にはまったく理解できなかったことも残念ながら正直に言っておきます。
引き続き、宮下さんに雄渾で雄弁な「賢治論(ないし日蓮教学論)」を上梓していただけることを心待ちにしています。これも正直な気持ちです。
〔追記〕
多くのことを学ばせてもらった前半の「第一章 法華文学こそわが使命――宮沢賢治」「第二章 理想郷としての満洲建国――石原莞爾」「第三章 大河の源流――「法華経の行者」日蓮」については、きちんとした論点整理をしてみたいと思っています。
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■2007/07/01 (日)
スイセンノウ(酔仙翁) |
ある花が花期を終えようとしています。実は庭に咲く赤紫のこの花、名前がわからず、今まで図鑑などを調べてきたのですがわからなかったのです。昨日、時間つぶしに入った小さな書店で、シリーズものの小図鑑を1ページずつ確認していってようやく、その花をみつけました。(一度見つけてしまうと、全体に特徴のある花だけに、どうして今まで見つけられなかったのかと不思議な思いがしますが。)
その花の名は、スイセンノウ。
・スイセンノウ(フランネル草)
和名の「酔仙翁」には、こころを惹かれるものがありました。
スイセンの音から「酔仙・翁」と読み取ったのですが、フシグロセンノウ(節黒仙翁)の名前も思い出し、また「酔芙蓉」のことも思い出し、やはり「酔・仙翁」であろうか、と短い立ち読みの時間を楽しみました。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/suisennou.html
「酔仙翁」の名は、「酔+仙翁」でしたが、「仙翁(センノウ)」の由来には、net情報によると2説あるようです。
1.中国原産の同属の植物のセンノウ(仙翁)の仲間だから、といいうもの。
2.京都の嵯峨にあった「仙翁寺」(鎌倉時代に廃寺)で愛でられていた花――中国から帰国した留学僧が持ち帰った――というもの。
〔追記〕
江戸時代の『雍州府志』に「仙翁寺 清涼寺の北にあり、今寺絶え村の名となる。この寺跡に仙翁花蕃茂す」とあり、今も「仙翁寺」の名は、「嵯峨鳥居本 仙翁町」として残っているようです。
↑は、ranryou5さんの「さえずり」というブログ(2006/9/7)で得た、貴重な情報です。
http://blogs.yahoo.co.jp/ranryou5/41072255.html
・京都市嵯峨鳥居本町」については、
http://www.city.kyoto.jp/tokei/keikan/page087.html
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