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■2004/02/05 (木)
メモのつもりが… Festina lente! |
登貴さん、かねたくさんというnetの大先輩方から、川探索にちなんでいろんなことを教えていただきました。
登貴さんによると司馬遼太郎さんが、“地誌をみるとき、いったんその上におかれたあらゆる歴史をはがして太古の地勢を思い描く”ということをどこかに書いておられるとか。
(これに近いことを、越中の古代神話を復元する作業のなかで、試みてはみましたが・・・)
それで思い出したのが古島敏雄さんの『土地に刻まれた歴史』(岩波新書)です。この農業経済史?の大家の著作集買おう思ったことも有りましたが、今、絶版?(未確認)。
かねたくさんには、青山 士(あきら)という土木技師の名前を教えていただきました。
あるnet上の紹介によれば“過酷な熱帯の自然環境と人種差別に耐えながらパナマ運河開削工事にただ一人の日本人技師として携わり、荒川放水路、大河津分水という戦前の二大国家プロジェクトを完遂させた人(信仰の人―内村鑑三の弟子)”とのことですが、まったく知りませんでした。
「大河津分水」というのは、新潟平野を流れる信濃川の分水路です。良寛の足跡を追っていたときに文献上や地図で何度も出逢っていますし、良寛に出逢う前に何度か渡ったことのある川?なのですが・・・。
青山士については、すぐにでもいろんなことを知りたいという“うずうず”した思いが今あります。
とりあえず、メモ;
http://210.131.8.12/~shinano/shiru/rekishi/hito5.html
『評伝 技師・青山士の生涯』(高崎哲郎/講談社)
『写真集 青山士/後世への遺産―パナマ運河 荒川放水路 信濃川大河津分水路』(青山士写真集編集委員会・編/山海堂)など。
大河津分水の河岸には、「萬象ニ天意ヲ覚ル者ハ幸ナリ」と刻まれ、エスペラント語も添えられた碑もあるとか。いずれ良寛を追う旅で、新潟平野で、その土地に刻まれた足跡にじかに出逢えることと思います
となれば、それまでにゆっくり、しっかりと事績を学びたいと思います。
《Festina lente!》 泰然と急げ
※青山 士 1878.09.23〜1963.03.21
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■2004/02/04 (水)
普羅の“春たつ雪の宿” |
時空を越えたパリ探訪に少し(快く)疲れたので、きょうはお休みモードで。
前田普羅の雪にちなんだ句をいくつか。最後の句は、きょうにふさわしい句ですが、北陸にはふたたび雪がもどってきました。
うしろより初雪ふりおり夜の町
大雪となりて今日よりお正月
雪の夜や家をあふるる童声
雪山に雪のふりゐる夕かな
オリヲンの真下春たつ雪の宿
普羅らしくない句かも知れませんが、私は「童声」の句が好きです。
そう言えば、「オリヲン」の《ヲ》の使い方について、まだ調べが済んでないのでした。オデヲンとかクレヲンとか・・・。
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■2004/02/03 (火)
ガロア決闘の地:グラシェールの沼は・・・(1) |
インフェルトの『ガロアの生涯』(原著:1948)がその伝記的部分において底本にしているのが、Dupuy,PaulのLa vie d'Evariste Galois(1896)です。――この本にも邦訳がありました;『ガロア その真実の生涯』〔デュピュイ著・辻雄一訳/東京図書/1972.11〕。――それによるとガロアの決闘の場所を「ジョンティーユにあるラ・グラシェールの沼」としています。ジョンティーユは、Gentillyだと思うのですが、それでは「ラ・グラシェールの沼」を『銀耳』の魚村さん同様、古地図上探しに出かけました。
1/31の日記にも書いたように、いろいろ古地図を見てみたのですが、パリ郊外にグラシェールの沼(らしきもの)を明記したものはなかったのですが、ふと思い出したのが、あのメルシエの『十八世紀のパリ生活誌―タブロード・パリ―』(原宏編訳/岩波文庫.1979.7)でした。この文庫の見返しに、たしか地図があったはず・・・。
『十八世紀のパリ生活誌』には、ユルトー、マニー共著『パリ市およびその周辺の歴史的事典』(1779)所収の地図が載っているのですが、これが想像以上にすばらしいものでした。
ところで、パリの歴史を紹介した本であればどれにも紹介されているあのシテ島を中心に、時代を追って外側へ――多少西へ比重を移しながら――同心円状に築かれた城壁。
内側から1.=12〜13世紀にかけてのフィリップ・オーギュストの城壁、2.=14世紀末のシャルル5世の城壁、3.=16〜17世紀のルイ13世の城壁、4.=18世紀フランス革命の直前に築かれた徴税請負人(Fermiers Generaux)の城壁、5.=19世紀半ばのティエールの城壁(現在のパリ市境は、これに接した外周+ブローニュの森+ヴァンセンヌの森)
この岩波文庫の地図は、4.のフェルミエ=ジェネローの城壁をパリの最外周に描いているのですが、この城壁をくぐって流れるビエーヴル川――これが見事に描かれています!――、このビエーヴル川の城壁の外側が明らかに大きく蛇行しながら沼地となっています。
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■2004/02/03 (火)
ガロア決闘の地:グラシェールの沼は・・・(2) |
現在の地下鉄グラシェール駅があるブールバール(大通り)・オーギュスト・ブラノー、その西のブールバール・サン=ジャックはこのフェルミエ=ジェネローの城壁「跡」ですから、「ジョンティーユにあるラ・グラシェールの沼」とはこの城壁の外の沼地に違いないと思うのですが、いかがでしょう。
もう一つビエーヴル川に関連して、そしてルソーに関連して紹介したいのが、フォーブール・サン=マルソーなのですが、これについてはまた後日・・・。
〔追記〕
フェルミエ=ジェネロー(さまざまな税金に加えて、城壁を築いて―といってもどういう規模のものだったのでしょう―関税をも手中に納めようとしたアンシャン=レジームの象徴であったとも言える徴税請負人)についても、
《ルソーvsラモー》というテーマのなかで、いろんなことを整理しながら書いてみたいと思っていますが、これはまだ無理でしょう・・・。
この日記にも昨年中、断片的にふれた越中の古代史を扱った本が、昨年末出たのですが、私も多少お手伝いしたので、売れ行きは気になっているのですが、良くないらしい。
江戸時代の富山藩の学者が当時越中に残っていた古伝承を集大成したと自ら語る史書?ながら、偽書扱いされ、その内容は荒唐無稽の創作物語とされてきた、そういう書物があります。歴史家は誰も見向きもしなかった書物でした。
先輩のT氏が、丹念にその記述を読み込み、かつ伝承の地に赴いて、その伝承神話を掘り起こしつつ再話し、コメントを付して昨年、一本にまとめたのでした。
先週、日本海古代文化の研究の第一人者でもある地元のF先生が、その本を新聞で取り上げてくださいました。
この史書の語る神話世界に能登の影響が大きいとするT氏の要言に対して、F先生は、最近の考古学成果に照らして興味深いと指摘され、「問題提起の書」と評価していただいたのは、うれしいことでした。
しかし、「随所に掲載された神社写真は、〔史書の著者〕野崎が触れた原風景への接近を試みている。」と書かれたことについては、著者側のT氏にも私にもそうした明確な意識がなかっただけに、驚きもし、本を開いて数十葉の写真をあらためて見直したことでした。
古代越中の原風景、そう言われると、私には幻の川・神楽川上流の古代製鉄の生産活動と、潟湖にそそぐ河口に白鳥が飛び交う射水野が浮かんでくるのですが、これはまったくの幻想です。
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■2004/02/01 (日)
“史料に基づいたノンフィクション”『ガロアの生涯』 |
netで、ガロアのことを少し調べていたらば『ガロアの生涯』について、この本は創作が多くて、と書かれたものがあって、な〜んだと思ったのですが、きょう図書館で閲覧してみたら、そういうことだったのかと納得して、借りてきました。
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“インフェルトによるその伝記は、ある意味で不思議な傑作であった。本文は小説風に書かれ、多くの会話や演説が「創作」されているのだが、巻末にはかなり長い「追記」が添えられてあり、どこまでが史料にもとづく真実であり、どこが数少ない史料と史料とを矛盾なくつなげる想像的推理であるかを、詳しく解説しているのだ。最後につけられた「文献解題」にいたっては、当時のフランスの歴史的状況を描くために、警視総監の回想記や、警察側のスパイの記録までがあげられている。この伝記を書くために、インフェルトは当時までに閲読可能なあらゆる文献を、第二次大戦中にくわしく読破していたのである。その上で小説風に「読ませる」文体で書き上げたのだ。節約の初版を桑原武夫先生に贈ったとき、まもなく御返事をいただいて、理論物理学者にこんなすばらしい小説化ができるなどとは、信じ難いほどだと驚きを表明されていた。”
(「ガロア伝の訳者として」:これは第三版〔1996.12〕の編集者が『数学セミナー』〔1982.10〕への市井氏の寄稿文を、新版あとがきとして加えたもの)
・・・ということで、今読み出しました。
“史料に基づいたノンフィクションとしての「小説」”という考え方があってもいいのではないか、というのが、先日加賀さんの『高山右近』を読んだときの感想です。が、この評伝も、“政治的”生を送らざるをえなかったポーランド生まれの理論物理学者インフェルト――すぐれた自伝があるようです――の遺したメッセージあふれた小説なのかも、と思います。
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