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弟の所から八升豆と縞瓜の種子を貰って来た。
八升豆は未知の作物で、一株から八升も穫れるという名だそうだ。原名はムクナだというので調べて見た。
ムクナは、真紅の花が連なって咲いて、沖縄のデイゴを小型にしたような写真が出ている。
八升豆で調べると、白い花だという人と、濃い紫の花だという人と二通りあって、うちにある種子がはたしてどれなのかは分からない。
弟も人から送ってもらったもので、モノズキな私が一粒お呉れ、と頼んだら莢ごと二、三本呉れた。かちかちの固い莢から取り出した、グレイの大粒の豆が12粒ある。
豆はよくアクを取り除いて食べないといけない、とか、薬用にする、毒がある、と、まるで違う話が出て来るので、先ずは鑑賞用と思って育てよう。食べ方については追々調べることにする。暑いところの原産らしいから、出来はどんなものか。アレロパシーという作用があって、草が生えにくい、とか、とうもろこしと混作するとトウモロコシがよく出来るとか。
シマウリは、甘瓜の中ではもっとも丈夫な部類で、こぼれ種子から生えた蔓にたくさん実が付いてちゃんと食べられた例も知っている。慎重に作ってたくさん食べよう。
いずれにせよ、タネモノは桜が終わり八重桜の頃にならないと、地温が足りなくてよく芽が出ない。
サツマイモの畝に枝豆を植えると両方よく育つそうだから、そんな一挙両得の話、忘れないように。
マゴの、通し番号で言うと、えーと4番目に大きいKちゃんの誕生日につき、小さい熨斗袋とスイートピーの花を持って行った。自家製ピザを貰って帰る。
木綿のきものを解いて端縫いして洗ってある生地が二枚分ある。頂き物で、戦前のものだと思われる、とても深いいい藍色地、厚手でしっかりしている。
シャツにしたらどんなに重宝するかと思うが、縞が野暮ったい。単純な棒縞ならよかったのに、なまじデザインして色を加えてあるので、何回か取り出して見てはそのまま仕舞ってあった。
そうしてずんずんと年は経ち、もう10年近いのではないか。
着るものでなしに、座布団のカバーにしたらどうだろう。もったいない、ったって、このままただ仕舞って置く方がもったいない。
他に、やはり藍色地の縞、格子などあるので、これ全部、そうして使ってしまおう。で、褪せた古いカバーは捨てよう。
とてもいい色と縞だけど、シャツにするには足らない端切れもある。接ぎはぎして仕立てる気はしない。うまく行っていないと、よほど着るものがなかったのね、みたいな風情になってしまう。座布団カバーなら継ぎはぎも許したい。
南魚沼市になっている昔の塩沢町の、「中田屋織物」さんは、いまは県内で唯一、麻織物(上布や縮)の雪晒しをしておられる。
春の雪原に拡げた布に日光を当てることで、自然のオゾンが普通の洗濯では取りきれない汚れを晒して新しい布のようにきれいにする。というので、ぜひ実際を見たいと思い、かねてお願いしてあった。
今日は晴れで、仕事をなさる日だというので、夫と駆けつけた。
麻のきものを解いて、一反の布のように縫い合わせる「端縫い(はぬい)」を済ませたものを水に浸した後、雪の上に並べてある。
午前10時頃から午後3時頃までの日光に晒して、また持ち帰り水に浸す。これをきれいになるまで繰り返す。もし晴れが続かなかったら、一旦乾かしておいて、また天候を見て始める。
通りの近くではいけないし、人里離れても困る。近くに人家があって、埃は立たない、理想的な場所に布は並べてあった。
わざわざ一度繰り畳み、布の両端を持ってそっと雪に置いていく様子を実演してくださった。
柄をみると大体いつ頃の布かわかるそうで、随分手の混んだ昔の縮などもあり、なかに八重山上布も一反あった。
石垣島、西表島などで少しずつ織られている八重山上布、白地に茶色の絣。紅露(くーる)という植物の根で染められ、出来上がった布は海に持って入って洗っているさまを映像で見た。
南の島の、お風呂のように温かい潮でたぷたぷと洗われて来た上布は、雪の上で晒してもらってびっくりしていることだろう。
晒し場に出かける前におうちでお茶をよばれた。奥様は髪をきれいにセットして、わからないほどのうっすらとしたお化粧をしておられ、私のボサボサ髪がとても恥ずかしかった。来週早々髪を切りに行く。
伝統工芸士であるご主人の仕事着、木綿だと言われるが、絣なのか、刺し子なのかと思うような魅力的な布で、どんな布なのか、引っ張って揉んでみたかったけど、初めてお目にかかったことゆえ自粛した。
どこを歩いても、道の行く手に雪山が見える。空が広い感じのする、とても「気」が澄んだいい街だった。また行きたい。
MMさんが亡くなられたのは七十二歳のときのことだったと、最近気がついた。純白の髪、杖をついてゆっくり歩いておられた彼女をはるかに年上の人と思っていたが、いまの私と同じ年齢だったとは。16年経って、年齢だけは追いついた私はいまだにうろうろと、何をしているのだろう。
生涯にただ一冊歌集を作られ、それはある賞を受けた。誌上にその評を書くように編集部に言われたときは驚いたが、書く他はないと覚悟した。
それまでの生に、触れるに触れにくく、触れねば通れないことがあった。一人を通した人に、夫ではない人との愛の歌があった。
ご本人に会わなければ書けないと思い詰めて、急行列車でK市へ行った。質素な簡潔な住まい。ほつほつと、のどかにお話をしていた。
帰りに市内の名所を廻って駅へ送ってくださり、蜜柑に週刊誌まで買って持たせてくださった。
評というより紹介のようなものだったと思うが、よく書けていました というお礼状と、地元の焼き物のコーヒーカップが送られて来て、そのはがきはいまもその号にはさみこんである。
死によって自分ではない人の所へ帰った人の歌があったから、生涯の思い人を心にいだきつづけられたこと。長く病まず卒然と亡くなられたこと。やはり独身で彼女の最後を看取った妹さんが、数年のうちに亡くなられると、ご家族は絶えた。
なんという見事に澄み渡った生だったことか。
妹さんが、お母様の単衣だったという藍と白の細い縦縞のもめんを送ってくださった。シャツにして着ると、洗い抜かれた柔らかいもめんが快かったが、それももう着られないほど傷んでしまった。
生前残された一冊の歌集、妹さんが編まれた一冊の遺稿集、コスモスの花を描いたコーヒーカップ、もめんのシャツ。はがき数枚。これがお形見。
もうすぐ17回忌のお命日が来る。
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■2010/03/11 (木)
ドの字のつくはなし |
友人が沖縄へ行った話をしてくれた。農機具屋さんなのだが、ユニークな自然農業家でもあって、専業農家ではないのに米の食味コンテストとやらで上位入賞したという人。
1月半ばの大寒波のさなかで、沖縄へ着いたら気温5度、それも雪国である郷里の5度より寒く感ずる海風のなかで、その日はとうとう外へも出なかった。
2日目は8時から20時までという勉強会で、三日目にわずかに自由時間があっただけ。食事はホテルのものだけでついに街では食べなかったという。なんと気の毒な。
ご飯が美味しくなくて、パンと果物を一番多く食べた。沖縄らしいものは海ブドウと、トウフヨウを少し食べた。山羊肉が出たが、くせがあって、マトンのほうがいいと思った、と言う。
山羊が出たんなら、上等な(沖縄式にジョートーと言いたい)もてなしよ。沖縄の人は山羊が好きで、ヒージャーぐすい(山羊薬)とかヒージャー会とか言ってとても嬉しがる。
ご自分達の大好きなものでもてなそうとしたのだろう。厚意はわかるけど、食べ慣れたものが結局美味しいんだね。
彼には初めての沖縄だったので、自由時間があってもどのくらい楽しめたかはわからないが、せっかく初めて行きながら、帰りに空港で海ブドウとソーキソバを買っただけ、というのではほんとうに気の毒だった。
えー、甘くなくなっちゃったのを持って来ました、と言って、瓶に詰めたドブロクを呉れた。
嘗て超先生は農業資材としてドブロクを使うことを教えて下さった。耕地に藁など散らし、水にドブロクを入れたものをその上に撒く。微生物が働いて、雪の下でも土が温かい、地温が1度違うと気温が3度違ったと同じ効果がある。
ご飯と水、麹と酵母菌を使う早作りのドブロクを私も作ったことがある。酵母を使えば誰が作っても失敗なしに発酵するかわり、味は二の次になるのだろう。「資材」を作っているのだから当たり前だけど。
せっかく出来たので試飲もやった。わざわざ朱塗りの木杯に注いでみんなで飲んだ。私は酒飲みではないのでよくはわからないが、ドブロクの酔いは大きい波のようで、ふわぁん、と漂った。
竹製の笊(ざる)。目の粗いのをアラバーキ、米入れ用をユナバーキ、芋洗い用をンムアレーバーキ、工事用を人足バーキという。特に農作業や行商などにおいて女性の頭上運搬具として利用された。
『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月・琉球新報社発行、2,415円(税込)
【北谷】北谷町の米軍キャンプ桑江内の伊礼原C遺跡から、縄文時代前期(約5000年前)のものとみられる県内最古の竹製バーキ(かご)が出土した。発掘したバーキ内には当時の食物が貯蔵されている可能性があり、町教育委員会文化課は「当時の食生活が分かる貴重な資料」と期待している。
バーキは四方約1メートル、深さ2・7メートルの層から出土した。この層からは縄文前期に作られた曽畑式土器が見つかっていることから、バーキの年代を推定。バーキは二本一組の竹で編まれ、ドングリなどを中に入れて、水にさらしてあく抜きをするのに利用していたと推測されている。
町教委文化課は「今後、バーキ内に積もっている土砂を慎重に取り除き、ドングリや木の実などの食物が含まれているかどうか調査する」と述べた。宜野座村の前原遺跡からも縄文後期(約3500年前)のバーキが発掘されており、今回で県内二回目の出土。
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■2010/03/10 (水)
母島と土佐の蜜柑・沖縄バーキのはなし・ほか |
ブログの知人Pさんから、小笠原のもの、という橙とレモンを頂いた。「母島」という文字と鯨の尾の絵が入った袋。地図を出してはるかな母島をたしかめる。「皮が汚くて」とおっしゃるけれど、沖縄のタンカンもそうで、自然の中でかまわずに育てるとそういうものなのだろう。ずっしりと重い。
喜んでいると、夕方になって今度は高知県へ引っ越した末の妹からの小荷物が届いた。皮の色が淡いレモン色の土佐文旦。こういうものが実るところに住むのか、遠いなあ。次の妹がマーマレードになるかと聞いたそうだが、やや苦みが強いかも知れないとのこと。表皮を取ってしまって砂糖漬けにはなるだろうか。
柚子味噌、柚子マーマレードなども入っていた。居ながらにして諸国の珍味、ありがたいこと。
Pさんの荷には、他に特大のしかも厚手のビニールの袋が何枚も入っていた。「すばる家なら使い道があるかと思って」という、その袋、一枚広げてみるとざっとタタミ一畳分くらいある。眺めていて、思いついた使い道がある。
那覇の市場周辺の荒物屋に、竹製の籠というか笊というか、うちなー口で「バーキ」というものを売っていた(HP沖縄日記に写真あり)。竹を割った太めの材でざっくりと編んだ、底が四角で上の縁は丸い容器である。
沖縄県立博物館に使い古された昔の民具も並べてあるが、その中のバーキは、いま市場に出ているものと何も変わらない。
畑のものを入れるにいいなあ。もうモノを増やさないつもりではあるけど、わがウチナーンチュがむかーしから使って来たと同じ、丈夫一点張りのバーキは欲しい。
実用だけを考えて出来たものの常として、ぶこつだが美しいバーキは、確実に私より長持ちするだろう。子どもの誰かに渡っても、喜んで一生使うような、そういうものなのだ。
つまり、送りにくい形の、鞄に入らない大きさの、バーキを、この大袋に入れ、余分を折り畳んでテープで留め、手荷物で持ち帰ろう、と考えた。
Pさんからは重要な情報も頂いた。腸の内視鏡検査の前に2リットルの下剤を飲むつらさ、だんだん飲みにくくなり今は吐いてしまうことをここに書いたら、今は錠剤もあるという。もちろん一緒に水分を2リットル飲まなければならないが、あの変な味の水薬でなかったら何でも飲む。ゼリア新薬ビジクリア、という名が書いてあった。今度H医院で聞いてみる。
マーマレードの瓶を丁寧に包んで箱に入れて、小さい小包を幾つか作り、郵便局で出した。歩いているうちにずっしり重くなったが、気に掛けていたことが出来てよかった。今年のマーマレード作りは終わりにしよう。庭に柑橘類がなったり、お茶の木が茂ったりする土地に生まれなかったのは残念だ。
いつもながらやたらに本を読むんだけど、こういう心身好調でないときによく効く本はある。何冊も借り出してあるけど、上野英信でもなし、岡部伊都子でもなし、司馬遼太郎でもなかった。タナベセイコの本が一番甘やかしてくれた。
自分勝手な愛し方しかしないがかわいげはある夫と、その生家の大金持ちの豪奢な暮らしと、自分の才能を生かせる仕事と、全部持っている女。夫に結婚前からの女がいることがわかってくる、親もそれを承知している。
母親は亡く父は再婚していて、実家も慰めて呉れる人もないが、一緒にいると話のやりとりがはずんで楽しく、くつろぐ、「実家」のような男友達がある。
彼女が何も言わなかったのでシングルだと思いこんでいた男友達が、所帯持ちとわかってひどく失望し、去る。
そのころ、夫の不実は隠しようもなくなり、息子も嫁も自分の思い通りにして当然と思っている母親や、その生活もよく見えて来る。
東京へ転勤の話を潮時に離婚。買って呉れた大好きな万華鏡(何十万もした)も何も持たないですっきりと去る。その時、「実家」のような男友達に詫びを言う電話をかける、未来のありそうな会話で終わる。
お互いに勢い込んで同じことを言い出したりするような、感覚の通ずる人との会話の楽しさというのは、これは人生一番の上等の楽しみだろう。
年取った噺家のよく語り込んだ落語みたいに、いい気分にさせてくれる「芸」なのだ、おせいさんの小説は。芸術性なんてこの際どうでもいい。
所々に出てくるおせいさんのアフォリズム、というのかな、それがまた好き。夫の母親のまだみずみずしく美しいことに驚きながら「若く見えすぎるってことは下品なんじゃないか」という。
下品な人が下品な服、下品な言葉遣い、下品な行動をとるのは正しい選択であって下品ではない。下品な人が身にそぐわない上品なものをつけているのは下品である。上品な人が、それを自分で知っているのは下品である。反対に、下品な人が自分の下品さに気付いてることは上品である。
と、いうので、ややこしいけどわかると思う。
歯科の予約をキャンセルして、N内科医院へ。お願いすれば漢方薬を処方してくださるところ。
玄関が閉まっていて、休診の札も出ていない。となりの薬局で聞こうかと思えばここも閉まっている。夫は歯科の予約時間があるから行ってもらう。
近くの「Sの家」で聞けば、先生が病気で、もう医院止めなさるらしいよ、と言う。帰りに見たら薬局が大片付けをしていた。
「Sの家」では錬成会中で、わーっはっはと笑いの練習をしている声が聞こえる。私の来るとこ、ここかもなー。でもB先生の笑い、作り笑いがわかってしまう。あれ、作り笑いをしているうちに、ばかばかしくなって本当に大笑いするんだけど、そうでなければ効かないでしょう。
N先生が、「人間病気では死なないんです。寿命で死ぬんです」と私が言っているようなことをおっしゃる。
N先生は調子が悪いと「ナマ食」で直す。何でもナマのものだけ食べる、私の解釈では一種のかるい断食である。勧められた。
これは経験済みで、外に青々といろいろ生えてもってこいの季節だったのに三日と続かなかった。いまはまして、キャベツ、白菜、葱にイモくらいしかない。
そう言うと、八百屋でもスーパーでも行けば青いものはいっぱいある、と言われる。えーっ、スーパーものでナマ食なんかやっておられるのか。
まあ駅近辺で気晴らしするのもよろしからんとバスで出れば、夫がもう歯科が終わったと言う電話で、結局なんにも見ずに帰って来た。
沖縄へ行っているときなんで調子がいいか。
朝から野菜、海藻、果物など多種類を食べる。
食事は美味しくて、しかもあっさりしていてよく食べる。
楽しく歩き回る。
おしゃべりする。
歌を聴き、カチャーシーを踊る。
食事は自分で作るのだから、心掛ければいいことだと思うが、不調だと作ることが厄介である。今夜は蒸し鍋で野菜と粕漬けの魚を蒸して、あとは漬け物とジーマミートーフ(これは自分で作った)の残り。
歩き回るのも気兼ねせず出ればいい。おしゃべりは相手が要るのが難である。かちゃーしーなんかCDかけて一人で踊れ・・って、寂しいね。
夫がいないときだけ機を織る、って、他にすること(家事)があるのに、と、思ってやしないか、と、思うわけ。ややこしい。もういい加減にすれば?私。
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