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という本の中に心動く話があった。
「祭りを探して」という、ボガンボスだった、どんとの話。
著者はTHE BOOMの宮沢和史さん。
彼のどんとへの思いがつづられている。
思い出した。
僕はどんとのことはほとんどよく知らない。
僕がもっと若い頃、当時の仲間ともっと上へもっともっとと目指しているときに
どんとはボガンボスを解散しソロになって沖縄に移住する。
メジャーデビューなどをしてイケイケだったまわり。
そんな周囲の声の中から一つ。
「どんとのソロを通販で買ったらジャケットが手書きで本人が送ってきたよ」
馬鹿にしていたのだ。
僕は本人が、というところで驚いて目を丸くした。
周囲も僕も有名なスターがメジャーを諦めて落ちぶれたのだ、のような印象だったのだ。
なんてことだ。
何も知らない僕は有名な人が落ちたのだ、という風にしか感じれなかった。
周囲はそれを嘲った。僕は驚きの棘が刺さったままいつも忘れられなかった。
若い自分でさえ知らなかった、
いろいろなかたちで、音楽をしている人が居るということを
もっと人に知ってもらいたい。
誰にも似ていないかたちで世界のどこかでその人の音楽をしている人が居る。
一笑に付すだけではなく、驚きのままに受け入れてほしい。
頭おかしいを噂され
変な奴だと笑われて
そっとどおっかへ消えたのさ
もっといいとこがあるさってね
(「どんとマンボ」 作詞作曲 どんと)
知らないってことは本当は素晴らしいことだ。
知らないってことを知らないままに知った気でいるのは恐ろしい。
いろいろな旅の果てに、いま、僕も手書きジャケットの音源を出している。
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■2007/04/17 (火)
えーっと なんだっけ? |
久しぶりに旅旅旅の日々。
旅を一度終えて大阪地元にとんぼ返りして主催イベントして終えて
ほんの少しの充電期間の数日を持った後に今度は山口と九州へ。
よく言われるけど旅が好きなんじゃないし人との触れ合いが好きなんじゃない。
(それがないと生きていけはしないけど)
音楽が好きなんだ。
しかし音楽が好きで旅ばかりすると何かが磨り減っていくような感じも事実。
落ち着いて何かを作る時間が少し欲しくなってきた。
曲を、バンドを、イベントを、ムードを、自分を。
しかしなかなかそうも行かない旅芸人。
むむむ。
勿論旅も止めれない。
さあて。
関係ないけど最近マイスペースってやつ始めました。
ミクシィより気持ち悪くありません。
http://www.myspace.com/takaokadaysuke
ライブ日記に書いてありますが体がいかれました。
http://d.hatena.ne.jp/daysuke/20070308
これではっきりと煙草の害が自分にきていることが分かったわけだが
テメエでやってることで体が悪くなるなら納得もいくが
やはり他人様のせいで、というのがどうしても腹が立つときがある。
飲食のとき、禁煙スペースで吸う人がいるとき、歩き煙草。
生理的な反応に基づくのか、もともと喫煙者と非喫煙者を比べると
非喫煙者のほうが信じられるというか、
たいして人間なんて信じてもないが、
喫煙者のことを信じがたい自分がいる。
マナーの悪いのを見る機会が多いからだ。
当分治療の身。
喫煙者には近寄れないし、いいや。
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■2007/02/28 (水)
30年前の高岡大祐から |
30年前に家族で旅した旅行記を古本ネットでゲット。
一気に読破。
全編が父の愛情に貫かれている
相当の反骨モノの変人として知られた父・大。
(僕の名前はそこに祐をつけたものだ)
文才はおそらく一生敵わないだろう。
美文ではない、ぎこちないけど届く文章。
物凄いイイ男だと思う
いつまでも敵わないコンプレックスから逃れるのも
僕の音楽への最初の動機であった、はず。
++++++++
なぜ日本人は「集団のひとり」でなければいけないのだろうか。
「集団のひとり」の典型が僕には、障害物競走的な海外旅行団体の姿に映り、
どこでもひとりで誇りを持って生きている人間ではないことを感じる。
僕は大祐に、強い団体の中の彼ではなく、
ただ「強い彼」を望むだけである。
大祐とはこの旅で、彼が陽の沈むまで世界中の子供たちと遊び、
素直な表現で詩を読み、自分の昼食の半分をカモメに残しておいた
優しい気持ちを甦らせることを、
親の責任として感じる。
死んだ昆虫の墓を掘り、父母がせっかく抜いた畑の雑草を、
丁寧に植えてやる彼の人間性こそ、
僕らが彼をヨーロッパに連れて行ったことよりも大切にしたい。
(終章より)
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僕らは帰国後の社会復帰に相当苦労することになる。
僕は上記のような行為や自分で考えた服装で学校に行くことで
周囲に馬鹿にされ「誇りを守ること」をいつも教えられていたのが
捻じ曲がってどんどん粗暴で暴力的な少年になっていく。
++++++++
僕らは、今度の旅の成果として、強い個人、
やさしい家族になって帰ってきた。
それは何度もバカの一つ覚えのように繰り返している
「文化を持った個人」になって帰ってきたことでもある、
(終章より)
父は僕に「自分だけの大切なものを探せ」と教えてくれていた。
それは誇りとソウルに基づいたものだと思う。
+++++++++
5歳までの僕の人生は光り輝いていた。
この後10数年も、自棄と暴力をともに過ごす事になる30年前の彼を
出来ることならば抱きしめて
音楽という素晴らしいギフトと出会えることを教えてやりたい。
30年前の僕はもうすでに
30年後の僕に生きる力を与えてくれるだけの
美しい生き方をしていたことが残されていた。
今の自分から見るとまるで別人のようなキラキラとした。
音楽に出会えたことはとても幸運なことだと思う
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■2007/02/27 (火)
カタツムリ一家のヨーロッパ旅行記 |
自分への誕生日プレゼント
ネットでモノなど買ったことなどないのだが
古本ネットはいkなりこれに繋いでくれた。
日記のタイトルは父・高岡大の著書。
僕が4歳から5歳の間に家族3人でヨーロッパを放浪した記録。
学陽書房より。
20年ぶりくらいに読む。
少しだけ定価より値がついていた。
30年前の大祐、こんにちは。
今日の不思議
34年目
どこかの国では母のお腹にいるときから年齢を数えるらしい。
そうなら35年目
10代の頃は20になれるなんて思ってなかったのに
想像もつかない与えられたあまりの人生14年
思い出そうとしてもこの日に良い思いではあまりない気がする
今回はひどく長い悪夢を見た
これからはいいことあるだろうか
誕生日ごとに毎回言ってる気がする
まだ生きてる
素直に驚く
今日も音を出せる幸せ
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■2007/02/18 (日)
歩み寄りたいのではない、ただ知りたいだけなのだ |
中部地方の旅を終えて大阪へ帰宅。
今まで知らなかったたくさんのことを知ったような気になる。
今回の旅ではからずも命のことを考えることになってしまったくだり。
二人がいた。
一人は余命がカウントダウンに入っているという。
治療をせずに生きるのだそうだ。
そんな彼の踊りと共演することになった。
それを知ったからか、知らないからか、分からない。
共演はとても良いものになった。
また是非やりたい。
しかしそれが出来るのがどうかは、本当はわからない。
もう一人がいた、かつて。
数年前にお世話になったことあり、競演もした。
脱サラして大変な苦労をして音楽家となった。
僕は演奏とスタンスには共感できないところが多かった。
赤貧の中にも命を削って演奏活動した、という彼の記録にある。
病に倒れ、本当か嘘かは知らないが自らの命を終わりをつけたそうだ。
数ヶ月の間、知らなかった知人の死。
自分のことを考える。
好きになってくれる人よりは憎まれることの多い人生だ。
自殺なんて絶対したくない、しかし体のことは常人に耐え難い無茶をしている。
死ぬまで踊る人、音を出して死んでしまう人。
いつも思うことは、自分は別に明日死んでも構わないということだ。
本当にそう思っている。
楽しいことなんてないのではなくて先に楽しいことがあろうとも
悔いるような生き方は今のところしてこなかった。
どうなるだろう?
タイトルにある言葉は今回の旅で知ったこと。
旅を同行した写真家の言葉が深く胸に突き刺さった。
返しの棘が付いたこの言葉が、今も離れない。
持ち主の癖して久しぶりにやってきた
12月は飛び回りだ
師走っても師って柄じゃないけど
今年は大勢の子供たちに音楽を教える仕事なんてのもした
今年はもうここには訪れないかな
面白い年でした
僕にとっては
大いなる変化の年
大きな別れは新しい世界へ自分を旅立たせることになったし
たくさんの新しい出会いと懐かしい再会に満ちていた
振り返ると単純なことに驚く
おお、俺まだ生きてる
06年も生き延びた
えらいぞ俺
やりたいことがまだあるのなら
そのうちだけは生き延びておきなさいよ
俺
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■2006/10/27 (金)
ある一つの、翼のかたちをした音楽の愛 |
寝る間もなく朝、富山を出て昼に東京で録音仕事をし
六本木に駆けつけた
ベルギーから訪れた素晴らしい奴らの
今回の来日最後の夜
1カ月半の滞在、本当にいろいろあった
言葉にならない沢山のものを感じた、たくさんの日々
うまく言葉にできない
愛情と音楽について
これほど毎日感じたことは
いまだかつてなかった
別れの日は晴れやかに
全力で演奏することで
すべてをささげた
別れ際
全員と堅く長く抱き合い
ゆっくり話しをした
これが、はじまりなんだよ、と
皆が耳元で。
これがはじまりなら
これからはなんてすばらしいことか。
言葉にできない
天使の声を持つマチューが
信じられないことを僕に言う
ずっと探していた、こたえに
会えたよ
目を見て。
人に僕をツインと言い
兄弟、と語り合う
動く芸術、美の祝福を
光のようにまとうマチュー・ハー
最後に一人歌う彼の背中を
じっと見つめる
そこには白く透明な
翼が見えるんだ、僕には。
翼のかたちをした、音楽が愛情が
ほんとうに見えました。
これ以上言葉にできない
けして言葉にできないことを
もっと感じるようになりたい
次に彼らに会うときに
たくさんのものをあげたい
あげれるようになりたい
嘘偽りなくまっすぐに生きていきたい
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■2006/10/21 (土)
こんにちはさようなら |
この一月で大きく何かが変わったような気がする
いや、なんとなく見たことのあるものを自分の中から
掘り起こしたというか
喜びに満ち溢れた日々
嬉しいことも悔しいことも山のように
やっぱそうやで
俺らはなんて素晴らしいことをしているんだ!
音楽を生業に稼業に生きる喜びに!
こんな素晴らしいことはない
音楽に(とか自分のだけの大事なものに)
人生を捧げるとか傾けるとか
本当に大切なことだってインフォメーションは
実はこの国ではほとんどない
人が嬉しそうにしているのは
見ていて物凄く嬉しくないか?俺は嬉しいぞ!
きっとこの世のどこかに
俺が嬉しくて嬉しくてしょうがないとを思うこと自体を
嬉しくて嬉しくてしょうがないと思う人が
どこかにいるはずだ
俺はあきらめないぞ
なにせ 喜びはどんどん満ち溢れるばかり
力強く高らかに喜びを歌うぞ
また生まれ変わった!
喜びは自分のうちにある
大いに撒くぞ この種を
音よ人の望みの喜びよ!
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