みせろにあす日記

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さるさる日記

2005/12/27 (火) さよならみせろにあす

さてみなさまこんにちは。
いよいよ今年も残すところあと数日となってしまいました。

これまでごく少数の方々にご愛顧いただきました「みせろにあす日記」ですが、この形式による更新はこれで最後にしたいと思います。ここ(さるさる日記)で続けてもいいのですが、ブログにしたほうがカテゴリー別にコメントを分類できるので便利でいいかな、と思うわけです。それに写真も載せやすい。その他、移転の詳細についてはブログのほうで書くことにします。そんなわけで今後は新たに立ち上げるブログでお会いしましょう。

いま現在、筆者が「読んで下さっている」と認識している方には別途メールにて新アドレスを通知する予定ですが万一送るのを忘れたらごめんなさい。その場合はメールください。新たなブログはホームページからリンクしないようにしようと思っております。

これまで何かの縁でお読みくださった方々、どうもありがとうございました。

2005/12/26 (月) 秋田に出張

BBS常連の隆庵氏が日記を書けとうるさいので書く。

昨夜JRで脱線事故があったようである。死者もでているようで、ニュースを見て背すじがゾっとした。それというのも、その脱線事故があったところを先週22日の早朝に、寝台特急で通過したからである。出張で秋田県の大館まで行かねばならなかったのである。ひとつ間違えれば筆者が死んでいたのかもしれず、そう考えると恐ろしい。自分が乗っていたのは先頭のほうの車両であったから、かりに脱線していれば被害は小さくなかったと思われる。この時期の日本海側は危険である。日本海の冬をなめていると痛い目に会うのである。

今回うまれて初めて寝台特急なるものに乗ったんだけれど、A寝台個室だったのでなかなか快適だった。いや、待てよ、寝台は二回目である。一回目はインドのカルカッタからヴァラナシへ向かう夜行列車だ。もう十年以上まえのことである。二等車で、まわりは全員インド人。みんなこちらをじっと見つめている。インド人は外国人をじっと見るのである。車内は暗くて薄気味わるい。雰囲気もくらい。なんだか気まずい。困ったのでカルカッタで買った2000円のギターを取りだして唐突に「大阪で生まれた女」を歌ったらおおいに盛り上がってしまって、「まあ、このチャイを飲みたまえ日本人よ」「さあ、これを食べなさい日本人」みたいなことになって、その夜は楽しく過ごすことができたのだった。芸は身を助けるのである。

話がそれてしまった。

今回の出張で乗ったのは大阪発-函館行の「日本海」1号であった。21日の夜に京都を出て翌朝大館に到着するのだが、22日にはそれはもう運休になっていた。この時期、ふつうに定刻で運行することのほうが稀であるようだ。大館駅で降りたのは朝の7時、それから駅の近くにある温泉に入って朝風呂を楽しんでから顧客のもとへ。周囲からは「旅行気分やな」などと言われるが、せっかくの空き時間を有効利用してなにが悪いか。そう自分に言い聞かせて朝湯を楽しんだ。そして客先で二時間弱ほど打ち合わせをして仕事は終了。ひじょうに効率の悪い出張であるが仕方がない。空港でビールを飲みながら大阪へ向かう飛行機の到着を待った。

2005/12/20 (火) 東京JAZZ 2005

昨夜はBSで「東京JAZZ 2005」なるライブを放送していた。最後はハービー・ハンコック、マーカス・ミラー、テリー・リン・キャリントン、イヴァン・リンス、ロイ・ハーグローブが一堂に会してのセッションであった。今夜と明日もやるようである。やはりマーカス、誰かの後ろで弾いているのがかっこいい。

イヴァン・リンスはブラジルポップスの至宝であり、以前HPに紹介のページを作ったことがある。読んでね。彼は声がいいんだな、声が。曲もいいんだけれど。テリー・リン・キャリントンはバカテク女性ドラマーである。ライブで何度か聴いたことがあるが、現役ジャズドラマーのトップクラスであることはまちがいない。

まあしかし東京の客はおとなしい。大阪だとすぐに「ぎゃー」となるが、東京は静かに聴いている。やはり異なる文化圏であると思う。座席に空席が目立ったけれど、やはりもうジャズは今の音楽ではないということか。なんか寂しいのである。

2005/12/19 (月) スマスマにマドンナ

見ましたか?
マドンナ。
スマスマに出てました。

とりあえず47歳にしてあの太ももは絶賛せざるをえない。

ニューアルバムから「Hung Up」やってました。アバの「ギミー・ギミー・ギミー」ネタの曲ね。燃えたね。燃える。燃えざるを得ない。フィルターかましの音づくりもええね。歌がマドンナ色炸裂。ちょっと感動してしもた。だってレオタードやんか。47で。ありうる?ないね。マドンナだけやね。口パクやないかって?何か問題でも?

ま、音楽に詳しい人に限ってマドンナ馬鹿にするけどね、そういう奴はわかってないね。アルバム「Like A Prayer」とか傑作やしね。プリンスもベビーフェイスも曲提供してるしね。文句あるんかワレ?と言いたい。

あー楽しかった。

カツケンもなかなかやるね・笑。

80年代命な嫁はんは大盛り上がり。
筆者も盛り上がり。

2005/12/19 (月) 夜の女たち

溝口の「夜の女たち」(1948年)を見た。

主演は田中絹代。しかしながら「これぞ溝口!」という部分が少なくて、我が家の評価としてはちょっと「うーん」であった。戦争で夫をなくし、病気で子供をなくした主人公の田中絹代がやがてパンパンになって・・・という話。絹代はうまい演技をしているけれども、そのうまさが「技巧」として目に見えてしまうようでもあり、そこが評価の分かれ目になるかもしれない。やはり絹代にこういう下品な役(売春婦)は似合わないと筆者は思う。『残菊物語』や『祇園の姉妹』『雨月物語』のような圧倒的な溝口ワールドとはいかなくて残念。

2005/12/19 (月) EBTG & Dwayne Wiggins

朝、駅で雪のために遅れている列車をまっているあいだ、iPodでEverything But The Girlのアルバム「Walking Wounded」(1996年)を聴いていた。彼らの作品としては意欲作で全編でデジタルビートが採用されている。これが聴いているだけであたりの気温が2度くらい下がってしまうかのような冷た〜い音楽である。白玉系シンセにデジタルなクラブビート、そこにイギリス丸出しの真っ白なトレーシー・ソーンのボーカルがのる。曲はポップである。しかしトーンが冷たい。肌触りが冷ややかである。で、そういう音を聴いているときに、雪のちらつく灰色の空の雲間から朝日がさしこんでくると、なにやら幻想的な気分になってくる。冬の朝に、より寒さを際立たせるEBTG、いかがでしょうか?

Everything But The Girl は1990年の「The Langage of Lofe」ではプロデュースにトミー・リプーマを迎え、オマー・ハキムやマイケル・ブレッカーらをバックにゴージャスなポップを展開しているので、それ系が好きな人には必聴である。



で、今日の昼休みBGMはなにかというとDwayne Wigginsの『Eyes Never Lie』である。このドゥエイン・ウィギンズという人は必殺R&Bグループ、トニー・トニー・トニーのギタリストでもある。アルバム冒頭はなんと「Fly Me To The Moon」をエレキギターで弾き語りである。本気か冗談かわからないフニャラピなテイクである。これ、恐らくストラトのフロント+センターで弾いているのではないか。ま、どうでもいいんですが。ファンキーかつヒップで、それでいてポップな作品。歌もので流麗なギターバッキングを聴きたいという人にオススメしたい。

2005/12/16 (金) 悲しみのロキシー

うちの夫婦は「趣味の一致」という点ではかなりすごい、という自負めいたものがある。成瀬やゴダールを二人で見て論評しあったり、KC&JoJoのライブに行って二人で涙したり、サンボーンのライブに行った自慢をしあったり、そういう感じである。食べ物の嗜好もほぼ重なりあう。しかしながら「一から十まで完全に一致」などということはもちろんありえないのであって、当然ながら「なんじゃそれ?」と思うこともある。

筆者にとってまったく理解できないのが嫁はんの「ロキシー・ミュージック好き」である。ロキシーというのは言わずと知れたイギリスのオッペケバンドで、そのむかし鬼才ブライアン・イーノが在籍していたことで有名である。筆者はこのロキシーのよさがまったくわからない。そりゃテレビから「More Than This」が流れてきたら、おもわず「もーざんずぃ〜っす」と横に移動しながら歌ってしまうことはある。80年代に青春を送ったのでそれは仕方がない。しかしロキシーの音楽に心動かされたことはない。ブライアン・フェリーの後ろでマーカス・ミラーがベースを弾いていたこともあるが、それでも筆者は聴こうとは思わなかった。

嫁はんはこのロキシーが好きである。困ったことにビデオまで持っている。

「なんかDVDでも見よか」
「わたしロキシーのビデオ見たい」
「は?ロキシー?わしがおらん時に一人で見てくれ」
「いやや。あんたに、見てほしい」
「なんでや。意味分からんわ。あのボーカル気持ちわるいねん」
「ブライアン・フェリーやん。ミスター・ダンディズム」(ここで真似ポーズ炸裂)
「は?ダンディズム?意味わからん」
「なー、見てーなあ〜。おねがい」(すがりつく目つき)
「いや、見いひん。雑音にしか聴こえん」
「絶対ええから。きっと好きになるって」
「なるわけないやろが。刺すぞこら」
「もー、見て〜な〜」(床でのけぞり)

で、先日はじめてそのビデオを見てみた。嫁はんは横でのりまくり。「あ〜〜ん、この曲さいこ〜」だと。もちろんすべての音は筆者の耳を素通りする。趣味が合わないっていうのはこんなにも苦痛なのか、と思い知った。ちなみに嫁はんはインエクセスも好きである。これまた筆者にはよくわからぬ。おれのCDラックにインエクセスを置くな。

2005/12/15 (木) 詐欺としての改ざん

それにしてもマンション強度偽装の証人喚問はなかなかの見ものであった。もはや失うもののない姉歯建築士のある種ひらき直った物言い、それとは対照的な木村建設、総研の醜悪というしかない責任逃れの答弁。言うまでもないが、建築のプロが違法行為に無自覚だったはずがない。故意にやったに決まっている。

じつは筆者が属する部品製造業においても「数字の改竄」というものは頻繁にある。どうしても図面どおりの寸法にならぬ部品がある場合、寸法測定データの改竄を顧客から要望される場合が多いのである。こちらからしたら「部品が使えるなら寸法公差を広げたらいいではないか」と思うのだが、なぜか図面を変えたがらない。

「これ、寸法丸めてくれ」
「でも上限規格超えてますから、量産にはいったらすぐに寸法NGですよ」
「いいんだよ。そこは日々の検査項目にしないから」
「この寸法で部品としては問題ないんですよね」
「問題ないよ。組み込めるから、ちゃんと。機能は問題ない」
「じゃ、寸法公差を広げてもらえませんか」
「それはできない」
「はあ」

こうした改竄が問題にならないのは、それが実際には完成品の品質に大きく影響しない改竄だからであり、命にかかわるような重大な帰結を生まない改竄だからである。しかし「改竄する」という行為が一般化してしまうことで、確実に品質意識は低下してゆく。「めんどうなことがあれば数字を改竄すればよい」という企業風土ができてしまうからだ。

なにかを改竄するということは、そのなにかを改善する機会を放棄するということである。改竄とは人間としての誇りを捨て去ることである。改竄とはものごとの解決を延期することであり、ニセの解決で現在を欺くことである。要するに詐欺なのである。

そのことに無自覚になってゆく自分がここにいる。

2005/12/14 (水) 罵らないでいきたい

理由はどうあれ他人を罵っているときの人間の顔は醜悪である。まちがいない。しからば文章はどうか。なにかを罵倒する文章というものも醜悪なのではないか。そんな気がする。当日記において筆者は日々さまざまなものを罵倒しているけれども、そういう文章というのはかなり醜悪であると思われる。というか醜悪であるに決まっている。なにかを罵る文章などというものはそもそも書くべきでない。

だいたいこういう場所で書くのだから、罵倒といっても中途半端なものにならざるをえない。もうほんとうにコテンパンにメチャクチャにこきおろしたいものでも、そこまで徹底的に書くことはできない。手加減せざるをえない。とすると、「もっと書きたいが書けぬ」というストレスが残る。ストレス発散のために罵倒していながら、それが逆にストレスを生んでしまうという悪循環。よろしくない。これからは罵らない文章だけを書くことにしようと思う。

さて、そうすると何かを罵るのではない文章を書かなくてはならぬ。あたりまえだ。それが難しい。ストレスになる。心が圧迫される。なんだか世間を恨む心情が芽生えてしまう。罵倒している自分をも含めた世界全体を罵倒したい気持になってくる。ガン細胞がふえてしまう。どうしよう。

2005/12/14 (水) 氷山の一角

テレビで姉歯設計士が証人喚問されているのを見た。
連日ニュースはこの事件で大騒ぎしている。

しかし。どう考えてもこれは氷山の一角ではないのか。強度偽装していないマンションのほうが少ないのではないか。そういう気がしてならない。そういうことをニュースではぜんぜんやらない。普通に考えて、こういう偽装は「業界内のなかば常識だった」と考えるほうが自然ではなかろうか。違うのかな。みんな「ほとんどの業者はきちんとした仕事をしているはずだ」なんて思ってるのかな。十代の若者ならいざしらず、いい年した大人なら世間の薄汚さをよく知っているに違いないのでそんなふうに考えてはいないと思うのだけれど、どうなんだろうか。まー、マンションの少なくとも半分は強度偽装してんじゃねーの?などと思ってしまう筆者は発想が汚れすぎているのか。

製造業の世界でも、問題が発生した場合に本当の原因を顧客に言わないのが「ほぼ常識」になっている。わざとアホのふりして「原因わかりましぇん」などというテクまである。下請けはメーカーに嘘をつくし、メーカーはエンドユーザーに嘘をつく。ウソだらけ。もう何が本当で何がウソなのか、神様以外にはわからないのではないか。で、ウソが隠しきれなくなると三菱自動車や松下のヒーターみたいに世間に公表されるのである。

そういうふうにして世間は動いている。

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