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祖母がショートステイから帰ってきた。
「ああ、やっぱり我が家がいちばんいいねえ」と穏やかな表情を浮かべる祖母は、いまだに新年を迎えたことなど理解していない。「新年がやってきました」と言っても「嘘でしょ!まだお正月は早いよ!」と返し、「だってこの前、一緒にクリスマスのお祝いをしたじゃないの」と言うと「クリスマスもまだ来てないよ!」とダメ押しの反撃。
ではいったい祖母の頭の中で今の季節は何時ということになっているのだろう?
私心ではあるが、おそらく正確な答えを求めるとなると「何時の季節でもない」のだと思う。
すでに脳内では「季節」を判断する力が失われ、すべてがとてもまっさらな状態。なので周囲の人が告げる事柄のすべてが真新しい。まっさらな画用紙に「お正月」との言葉が投げかけられると、そのインパクトに驚いて「ええ?お正月じゃないよ!」ということになってしまう。
まあ、いい。
祖母が帰ってきたので、改めて新年のご挨拶だ。
雰囲気を出すために母がおせち料理の第二弾を急ごしらえして、夕ご飯のテーブルに付いた祖母を「ひゃあ!」と驚かせた。
「何のお祝いなの?」
ほら、また忘れている。祖母よ、2009年がやってきたのだ。年の暮れに救急車で運ばれ一時は家族を「もうダメかも・・・」と心配させ、翌日には病院を追い出されたあなたの身の上にも、新年は等しく訪れたのだ。
「ええ?お正月じゃないよ!」
まだ言ってる・・・はいはい、じゃあもう、そこまで言うのなら、まだ新年に至っていないことにしましょう。大晦日という体(てい)で。3、2、1、ハイ!
「えと・・・おばあちゃん、今年もいろいろあったねえ・・・」
とりあえず2008年を振り返ってみる。
「・・・大きな出来事だと・・・そうそう、救急車に乗ったねえ・・・」
年末の一件があまりに大きく、それ以外のことが思い出せない。
それでも祖母はそのことさえ覚えていない。
「救急車?乗ったかなぁ?」
誰かが言う。
「覚えていなくてもいいのよ。家族が覚えているから。それよりも、ほら、もうすぐ年が明ける。新年がやってくる・・・」
ただいまの時刻、夜の7時。
我が家では季節外れのカウントダウンが始まった。
ほら、新年まであと10秒。
「3、2、1、ゼロ・・・」
2009年もどうか幸せな年でありますように。
そして新年の朝を迎えた。
家族同士の挨拶もそこそこに、祖母の滞在している介護施設へ歩いて向かう。寝たきりかと思われていた祖母は今日は比較的元気で、スタッフさんによると「朝からソファで駅伝を観られてます」とのこと。
施設ではちょうど昼食前、ショートステイ中のお年寄りと担当スタッフさんとが一同に会し、新年の挨拶を交わしていた。僕よりも一回りくらいも若いスタッフが「今年も精一杯がんばります!」と元気に挨拶していたのが印象的だった。
祖母はこの場に及んでも今日が元旦だということをちっとも理解していないようだった。「え?まだお正月は来てないよ」と言い放ち、「クリスマスも来てないよ」とおまけをつける。こんなときはいくら説明しても頭が理解してくれない。なので一旦、
「重大発表があります」
と引きつけておいて、「ほお、なんですか?」と聞く耳を持ってくれたのを確認してから
「実は、今日は元日です!」
と改めて打ち明けてあげるのが良い。
それでも2分後には、今日がいつなのかてんで分からなくなってしまうわけだが。
昼間には近所の神社へ初詣に行ったらしい。夜ご飯は「おせち」だったらしい。あとから本人に聞いてみたが、何も覚えていなかった。
記憶の容量がすでにコップの水のごとくあふれ出しているどころか、そのコップさえも崩壊し、亀裂からどんどん記憶がこぼれ出している。
しかしそんな中で子供の頃の記憶だけは鮮明に残っている。
これはもはや、容量オーバーになった記憶装置がいよいよ総決算をはじめ、過去の選りすぐりの記憶をアーカイブ化して祖母の脳裏に幾度も幾度も蘇らせているとしか思えない。
しかしこの状況は全ての人間にとってのチャンスでもある。これまで意識的には蘇らなかった記憶の数々がこのレム睡眠のごとき無意識の狭間でおぼろげに出現してくるのだから。
こういうときにこそ巧みな話術で新たなエピソードを引き出すのが自身のインタビュアーとしての腕の見せ所だ。
結局のところ、人はこうして老いに数多くのことを学んでいる。
僕はそのことを、少しずつではあるが、理解しはじめている。
二日前から、祖母は歩いて15分のところにある介護施設に短期滞在している。
その施設に祖母を訪ねた。スタッフの方に様子を伺うと午前中は寝たきりのことが多いらしい。他のショートステイ利用のご老人たちはスタッフと一緒に中央で体操などに没頭しておられた。
祖母の個室に入ると、もはや半分、ベッドの精霊、もとい生きた化石のようになってしまった祖母がふと目を開き、僕の顔を見ても誰だか分からないようすで、一瞬間をおいてから「ああ」といった感じで孫の来訪に合点がいった風だった。
ほんの一ヶ月くらい前までは、祖母も元気に体操する側のお年寄りだったのだ。それも化粧水やらお化粧にも神経質すぎるくらい気を遣う、かなり特殊なお年寄りではあったのだが。
とにかくいまこうしてベッドで対面する祖母は午前中もあまり食事が出来ていなかった。けれど誰かが話し相手になって喜怒哀楽を引き出し、脳を活性化してあげると、途端に活力が湧いてくるようだ。僕と話している側から祖母は「イタタタ・・・」と言いながらもベッドから起き上がり、これでノルマは達成とばかりにココアを一気に飲み干した。別れ際にはいつもきまった僕の手をにぎり頬ずりをする。「ああ、よかった、生きる希望が湧いた」と言う。いつもの僕ならば弁の立つ祖母の言葉を鵜呑みにしないように心がけていたが、ずっと手を振る祖母の目には今や本音しか浮かんでこない様にみえた。
一年前の大晦日は、祖母が自分の部屋でお金を入れた封筒を無くしてしまい、その捜索のために大騒動だった。家族は「笑ってはいけない病院」や紅白などをゆっくりと楽しむ暇もなく、なんだか気がつくと年を越している始末だった。
それから365日が経過し、祖母のいない大晦日がやってきた。お金を無くして大騒動する人がいないおかげで、今年は「笑ってはいけない新聞社」も紅白も充分に観ることができた。
だが、あんまり面白いとは思えなかった。
大騒動の合間にテレビをチラ見していた昨年の方が、なんだか豊穣な経験だったように思えてならないのだ。
そんなものなのだろうか。
そんなものなのだろう。
1月いっぱい入院する予定だった祖母が突如帰ってくることになったので我が家はパニック同然となった。こんなときにいちばん抱え込んでしまうのが母だ。26日だってひとりで祖母の荷物を抱え、退院手続きをすべてこなしながら「ただいま!」と帰ってきた。祖母は現実に気後れしてキョトンとしていた。もちろん救急車で搬送されたことも覚えていない。そんな話を蒸し返して言い聞かせれば、即座に嘘つき呼ばわりされてしまう。
その後も祖母は薬の加減で平気に起き上がったり、赤子のように寝たきりになったりを繰り返した。午前中はまどろみ続け、意識も朦朧となることが多くなった。「あなたのこどもは何人ですか?」と質問すると自信を持って「10人!」と答えるようになった。家族が目を丸くして驚く。僕もお茶を噴き出しそうになった。だって正解は「2人」である。10人姉弟だったのは祖母自身だ。
午後、祖母の様子を覗くと、驚いたような目で僕を見つめてきた。
「なんだ、起きてたのか」と言うと、様子がおかしい。僕が真っ白なフリースを着ていたせいか、「あなたはだあれ?」と尋ねてきた。いつもの冗談かと思っていたら、「あなたは天使?」「あたしを迎えにきたんでしょう?」と続く。どうやら本当にあの世からお迎えが来たと感じたらしい。祖母の語りがとまらなくなった。頭の中に神の啓示のように文字が浮かぶと言う。
「人間とは幸せを求める生き物である」
「人生とはよりよいものであるべきだ」
啓示は僕にも及んだ。「あなたは将来なにをするの?」。うーん、将来?分からないな、そんな難しいこと聞かれても、などとグダグダ答えていると、祖母はこう続けた。
「あなたは文章を書くね。そして本を書く。人生とは何かについて」
普段は僕が文筆業を営んでいることなど理解していない祖母だがら、これには僕も驚いた。
さらには僕の顔を見つめて
「あなたはどうして目にガラスをはめているの?」
ときたもんだ。僕は正直、怖くなってしまった。「これは眼鏡!」と返すとこんどは「眼鏡ってなに?」と尋ねる。自分だってかけているのに。
・・・こんな禅問答が続き、「ああ、もう祖母も長くはないな」と思った。
・・・しかしその2時間後、今度は元気に起き上がって家族と談笑する祖母があった。僕はますます訳が分からなくなった。
病院からの電話で慌ただしい一日がはじまる。
昨日入院したばかりの祖母が朝食をぺろりと平らげたという。母が駆けつけてみたところ、祖母はベッドに起き上がり、何事もなかったかのようにケロリとしていた。昨夜の痛み止めが効いたようだ。これはめでたい。
しかし次なる問題が発生した。暴走機関車である。点滴による興奮作用なのか、祖母は夜中にじっとしていなかった。挙げ句の果てには自分で点滴の針を抜いた。ここが病院などとはからっきし想像が及ばず、いつも通い慣れた高齢者向けホームだと思い込んでいる。現場の看護士さんたちは祖母への対応に大変苦労されたようだ。
さらに輪をかけて、祖母ははじめて会った人に挨拶代わりに英語で話しかける。とはいってもカナダに住んでいたのはもう90年も前の話なので、今では挨拶程度しか話せないのだが。それで相手がせっかく英語で返事してくださると、今度は耳が遠いことをいいことに、
I cannot understand what you say!
とダメだしをするのだ。祖母のダメだしはただひたすら惨い。自分の理解を越えているもの、自分の耳に届かないものはすべて否定する。僕はこの延長線上に現在の宗教戦争があるのだとひそかに確信している。
とにかく、母は病院に到着するやいなや「退院してください」「あるいは、夜中にご家族が付き添ってください」と言われたという。きっと祖母から受けたダメだしのダメージを、看護士さんは母へと放射したのだ。
母と僕は幾度となく連絡を取り合ったものだったが、会話の途中に「あ、ちょっと待ってて!」と母の慌てた声が響き、そして通話が切れた。
後から聞くと、待合室に祖母が歩いてやってきたらしかった。それも点滴を引っこ抜き、血だらけ、液まみれになりながらやってきた。その光景に母はたいそうショックを受けたようだ。電話口では「もうちょっと病院で経過を見てもらう」という流れだったのに、突如「キャリー」や「シャイニング」とみまごう光景を見せ付けられて、母にはぐうの音も出なかった。
母は敗北感に打ちひしがれ「退院させます」と申し出た。
看護士さんは「ああ、そうですか♪」と微笑んだという。
弁解するわけではないが、その合間にも、同じ病室で生死をさまよう患者さんがおられ、看護士さんたちもそれどころではなかったようだ。介護と医療は違う。我が家全員が医療の壮絶な現場を見せ付けられた恰好だった。
生まれて初めて救急車に乗車した。
その中央にある特製ベッドには祖母が横たわり心配そうな表情を浮かべていた。行き交う人たちがこちらを振り返る。見られる側としては優越感とこそばゆい感じが同居する。「あたしはどこに行くの?」と祖母が訊ねる。「近くの大きな病院だよ」と答える。
血圧が高い。200を越えている。不安を取り除こうと、先週から腰を痛めて起きられない状態であったこと、それが原因で食欲不振に陥り、どんどん衰弱してしまったことを懸命に説明しようとしてみるが、祖母は「はて」と途中から理解不能に陥ってしまう。こういうとき志村けんのコントに出てくる婆様ならば「なんだって?」と聞き返してくれるのだが、今の祖母にはその気力もない。
救急車が病院に飲み込まれていく。ダンディーな救急隊員が機敏に情報伝達を行い、祖母はテレビドラマ「ER」でしか見たことのなかった「1、2の3!」の合図で担架からベッドへと移動した。
看護士が無愛想に経過を尋ねてくる。「それで?」とか「え?」とか疑問符で問われるたびに取り調べでもされてるかのように胸がギクッとする。
どこからともなく出現した担当医師は、終始タメ口で僕ら家族と話をした。「〜なんだよね」の「ね」の部分が妙に気に障り、このままいくと祖母のことをうっかり「それ」とか言っちゃうんじゃないだろうかと気が焦った。
そんな調子で気を揉みつつも、彼らは決して悪い人じゃなかった。根本的なところではちゃんと心配してくれているのが分かったし、最低限の意思疎通は図れたのではないかと思う。
とにかく下された診断は「脱水症状」。1月いっぱいは入院して様子を見てみましょうとのこと。
隣のベッドでは寝たきりのおばあさんにその家族が付き添っていた。絵に描いたような美しい光景だなと思っていたら、孫らしき少女が急に「さっきからなんべんも言ってんじゃねーかよ!」とキレて、バッと立ち上がってどこかへ行った。
家族にベッドを囲まれた祖母は「あたしのために、ごめんなさい」と何度も口にした。僕が祖母の耳元で「おばあちゃんのおかげで、生まれてはじめて救急車に乗ったよ!ありがとう!」と言うと、祖母はニヤッと笑い「あら、いやだ」と返した。
ロビーにはくたびれたクリスマス・ツリーが、やや頭を垂れるようにして突っ立っていた。そういう風にして我が家のクリスマスは過ぎていった。
視野が狭くなった。暗闇に犬がいることに気づかず、思わず踏みつけそうになった。犬は動じない。少しは犬をびびらすくらいの力強い存在感を持ちたいものだ。
知人に「なに、ボーッとしてるの?」と声をかけられ、「あ、僕、ボーッとしてました?これね、焦点が合わないんですよ」と返す。カメラでいうフォーカスの機能は、目でいうと水晶体が負っているそうだが、その伸び縮みする筋肉の部分がどうも弱っているようだ。こまめに目薬を差す。それしかない。試写の最初と最後で必ず一滴ずつ。この目はいったいいつまで持つんだろうか。ビッグカメラで5年保証にしてもらうわけにもいかないし。
前に友人に「どうすれば映画の見方が深まるか?」と問われ、「いや、俺もそれを探し求めてるんだけどね」と前置きしてから、とっておきの練習法を伝授した。僕も昔、同じ方法で師匠から鍛えられた。
電車に乗ってる時間、ずっと車窓からの風景を眺め続けろ!そしてめくるめく過ぎ去っていく風景に伏線を見出せ!ストーリーを見出せ!一瞬のうちに永遠の感動を見出す動体視力を鍛えるんだ!
これ、全部、冗談である。世界のどこを探したって、こんな練習法など存在しない。
その点、友人も理解しているものと思っていたが、先日メールで「あれからずっと車窓からの風景ばかり見ています」との報告を受け取った。もしかすると本当に効果があるかもしれないので、もう少し泳がせて様子を見ることにしておく。
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■2008/11/27 (木)
ジャンルのバラバラなこの3作品 |
2月に岩波ホールで公開となるイスラエル映画『シリアの花嫁』を試写。来日会見が近いためか、場内は満席だった。これがまさに日本で生活していると気にもとめなかった世界の悲劇を、ユーモラスに、リズミカルに、ときに深刻に描き出した傑作だった。軍事境界線に分断された一つの村を舞台に、イスラエル側からシリア側へ、ボーダーを越えて嫁いでいく花嫁の物語。以前、『ノーマンズランド』という映画があったが、そのエッセンスをまた別の地域で具現化した作品といっていいかも知れない。
http://www.bitters.co.jp/hanayome/
続いて半蔵門の東宝東和で『チェンジリング』。イーストウッドの最新作ということで、現在アメリカでは少なめの上映館数でありながらボックスオフィスTOP10圏内に留まり続けている。主演はアンジェリーナ・ジョリー。1920年代を舞台に、行方不明になってその後に無事帰還した息子が実は別人だった、という実話をもとにした物語となっている。いつものことながら重厚な語り口。女性が主人公というのは珍しく想ったが、これがまた、中盤から猛烈な勢いで“孤独な戦い”を始める。ごく当たり前の真実を求めることがこれほど難しいことなのか。レッドパージを描いた映画にも共通するような「権力の暴走」を糾弾しながら、当時の善き人たちの勇気にも密着した作品である。
http://www.changeling.jp/
3作品目はあのマドンナ監督作の『ワンダーラスト』。これが普段僕らがよく見慣れた映画と同質のものであったら何の意味もない。人と違ってこそマドンナが作る価値がある。そう考えると実に不思議な映画だった。彼女のアートに対する考え方が伝わってくるシーンやセリフもある。独特のリズム感でストーリーが平行して進んでいく。もうちょっとワンシーンごとに、観客をグッと引きつけて放さない魅力を付与できると良かったのだが。公開後の観客の反応が楽しみな一作でもある。
http://wonder-lust.jp/
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■2008/11/19 (水)
効率の良さに刃向かう |
NHKの番組「プロフェッショナル」に認知症介護のスペシャリストが出演していた。グループホームで暮らすお年寄りとすべて画一的に接するのではなく、彼らが人生のうちで抱えてきた“記憶”という名の重い重いリュックサックを一緒に抱えるという感覚が、当たり前のことだけれども、とても新鮮に身を貫いた。
新米スタッフが言う。
「ここでは効率の良さといったものが通用しないんです」
この一言に、ここまで日本が荒んでしまった現状が集約されているような気がした。
効率の良さに刃向かってまで、一対一で人とじっくり向き合うという精神。そこに賃金が発生しようとしまいと、現代人にとってこの「効率の良さを捨てる」という感覚が、仕事以外の私生活の部分でも立ちゆかなくなってきている気がしてならない。
長崎滞在時に5年ぶりの墓参りを果たした。実際に墓地に到着し、枯れ果てた供養花などを新しいものに差し替えたまではよかったが、幼い頃に刷り込まれた習慣どおりにそれをお寺の焼却場に持っていくと、そこには大きな立て看板あり。「焼却場はなくなりました。それぞれが持ち帰ってください」。えー!旅行者に対して、そりゃないぜ!
雨も降ってきた。夕刻に迫り薄暗くなってきた。まだ父方の墓地が残っている。僕はゴミを抱えたまま走り出す。大通りを抜け、商店街を抜け、もうひとつの墓地を目指す。その途中で露天商のおばあさんと遭遇した。背中を曲げて供養花を売っている。ひと束250円というので、だったら1000円分ください!とリクエスト。で、ひとつ相談に乗ってくれないか、と。実はこれこれこういう事情で、雨の中、ゴミを抱えて走っているという有様です。お仕事柄、多くの墓参り客と接してきた経験をお持ちでしょう。このゴミを処理する最善の方法はあるでしょうか・・・?
だったらうちのゴミ袋と一緒にして捨てといてあげよう、と快活な返事。その代わり、17時になったら店を閉めるから、それまでにしておくれよ、とのこと。制限時間は25分。走った。父方の墓地を目指してひた走った。うる覚えの複雑な道をなぜだか一度も間違わなかった。新大工町を抜け、鳴滝の小川をわたり、シーボルト資料館の横を通り、息が切れるほどの勢いで丘をかけのぼった。
その頂上に墓地はあった。小雨降る中、案の定、墓にいるのは僕ひとりだったが、不思議と恐怖は感じず、落ち着いた気分に浸れた。あのときどうして間違えずにたどり着けたのか、今もってよく分からない。
帰り道もそうだった。あのおばあさんの露店までいとも簡単に戻れた。
「先ほどの者です!」
ああ、ゴミだね、間に合ったね。おばあさんの表情は変わらない。
「よろしくお願いします!」
深々と頭を下げた。ゴミが取り持った不思議な縁だった。もうこのおばあさんと会うことは二度とないだろう。しかし演劇などでは、ひとりの役者がいくつもの脇役を演じることがよくある。実はこのおばあさんのような人に、僕はこれまで幾度も助けられて生きてきたのかもしれない。ある時は謎の紳士、またある時はミドリのおばさん、そしてこの瞬間、花売りのおばあさん。
町の空気とは、そのような「一度しか出会わない人たち」の総体で出来ている。
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