塩見孝也の遊行記

これでキミも左翼ギョーカイ通?!

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さるさる日記

2003/07/13 (日) 「遊行記」を再開する。(2)

「大衆の中に入り、大衆に親しまれる」のは、毛沢東さんも教えるところである。
 僕は社会活動をする意欲だけは、出獄後も旺盛で、そのせいか、いつも政治的喧噪の渦の中にいざるを得ず、常に注目され、別に、好きこのんだわけではないが「公人」となってしまった。 
 “注目”とはまともな塩見像に数倍する「予断と偏見」が伴う、ことの謂いである。
 こういうことは、僕の宿命と観念するようにしてきたが、それに対処する巧い方策が思い浮かばない。
 可成り緩和されたとは言え、依然僕は「得体の知れない、相当くすんだ狷介きょごうの人物、アウトロー」」と見なされ、敬遠される、ことも多々あるのである。
 志を貫こうとするなら、遊び心ももって、自己の信念、思想、人となり、政治行動、日常生活を世間の人々に知ってもらうように努力するのが本道であろう。
 僕も変革者の端くれをを看板とする身、こういう次第で本誌に今後日記風に勝手なことを気ままに書き、遊んで見ようと、と思う次第である。
 果てさて、「大衆」の皆さん、親しんでくれるだろうか

2003/07/13 (日) 「遊行記」を再開する。(1)

「4、5年前「遊行記」と称して、僕の生活の徒然を興にまかせて「春雷」と言う機関紙に書いて行った。人気を博したわけだが、二つの勢力が絡んで来、横槍がはいる始末となった。
 思わぬ、ではない、予想されたこととも言えるのだが、僕の一挙一投足を監視し、文句を付けることに生き甲斐を感じる二つの勢力があったのです。
 一つは僕の後輩筋の新左翼系の某党派である。
 「女子大生に誘われたからと言って、ノコノコと“クラブに行って一晩中踊った“所業”を、臆面もなく書くとは何事だ。不謹慎だ。」と剣突をかましてきた。「獄中や朝鮮の同志達に申し開きが出来るか」と言う次第である。
 小生として社会勉強も兼ね、クラブ初体験の感想やドラムのリズムを縄文呪術の太鼓と比較したりして、書いただけのことですが、「まかりならん」と言うわけ。
 いまではその党派も「マルクス主義」を捨て、お堅いことを言わなくなっている。
 もう一つは権力の方だ。こっちの方は大いに喜んだ次第である。この行動録は塩見の情報だけでなく、周囲まで分かる、という次第である。しかし、別に僕が書かなくても、予算を消化することに懸命な公安のおじさん達は僕を付けまわし、全く人畜無害なのに盗聴はするは、ガサ入れをしてくるは、で既に僕はミエミエなのである。 僕の方も、もう「非合法ごっこ」に熱中する年でもないし、パンツまではおろさないが「合法と非合法、公然と非公然の巧みな使い分けと統一」といった昔必死で修練しようとした妙を活かしつつ、合法生活を満喫している次第で、別に中止する理由は無かった。だが、もう忘れましたが、つまらない事情で止めることとなった。
 しかし、今から考えれば、あの行動はもっと積極的意味があったと思う。
僕も変革者の端くれを看板に掲げる身、であればチマチマしたことでくよくよし、小さな「徒党」の中だけで勝手なおだをあげ、我一人高し、とする、のは止めるべき、と達観した。

2003/07/06 (日) 「創」7月号 杉嶋岑氏が公安調査庁告発(3)

別に杉島さんみたいに「告発」するつもりなど、さらさないが「創」を見て一言言いたい感情がこみ上げてきた次第である。
 これを機会に、荒君達は反省し、お相伴本能丸出しのせせこましい「ためにする」塩見批判はやめて欲しいものだ。
 このようなことを、あなた方は何度これまで仕掛けて来たでしょうか。
 もっと、もっと高い見地、思想、世界観を鍛えて欲しい。そして、民衆のため、国と民族、人類の義の為に団結しよう。

2003/07/06 (日) 「創」7月号 杉嶋岑氏が公安調査庁告発(2)

先ず最低以下のことぐらいは彼に言っておく。
 杉島さんは愛すべき所もある、ひょうきんでドジで面白い人なのだ。
決して要領の良い人でもなければ、金に汚い人でもない。彼は、ある面では、主観的にだが、本当に日本と日本人を愛していたと思う。
 だから苦学して一橋大学を卒業しながらも、日経新聞ではうだつが上がらず、仕舞いであったのであろう。
 しかし、愛国者にもいろいろある。本当の愛国者は民衆の利益に忠実で、かつ、国と民族の自主を守る上で、アメリカの帝国主義的覇権主義、他国・他民族侵略、従属化に反対し、抑圧され隷属された諸国、諸民族の自主を尊重しなければならない。この観点から見た場合、公安や内調と結びつき、彼らの要求でスパイ活動をしてきたことは根本的な思想の問題としても自己批判されなければならない。
 朝鮮国のスパイ活動だけでなく、民衆の内部に入り込み情報収集をやっていたことも十分考えられるし、僕らを裏切り、様々な運動家やそのグループを裏切って
いた、ことをどうして否定出来るでしょうか。
 公安調査庁のデタラメさ、裏切りを告発するのも良いが、先ずこのような行動とそれを支えた氏の思想についてしっかり反省し、民衆に自己批判すべきであろう。
 僕の知っている彼の思想の中には、ナチズムや血統的、生物学的民族論があったように思う。民族を歴史的、社会的に見る観点が弱かったと思う。
 杉島さんは帰国後これまでの生き方の根本的反省、世間、民衆とのスタンスを問われ、彼なりにどうすべきかを考えた末、この告訴行動となったのであろう。 
 しかし、まだまだ、いい加減と思える。先ず最低、これぐらいなことは忠告しておこう。
 帝国主義者であることを止め、民衆の立場に立つ愛国者に翻身して欲しい。
 この立場から、公安庁を告発してもらいたいものだ。
 「創」は彼の原稿を掲載した。これが興味本位な態度なら、それなりに篠田さんも可成り踏み込んで関わってきた以上、以上位のコメントは付帯すべきではないか。
 さてこの件はひとまずうち切って、“ある人達”のことについて移る。
 それは某党派「ブント(戦旗派・荒君達)」についてのことである。
 彼らの批判が全くの的はずれで、塩見批判の「為にする」モノであることは完全に明らかになった次第である。

2003/07/06 (日) 「創」7月号 杉嶋岑氏が公安調査庁告発(1)

「創」7月号読んだら、杉嶋さんのことが載っていた。
“杉嶋岑(すぎしまたかし)”、読者はこの人がどんな人かご存知だろうか。
 朝鮮情報に詳しい人や朝鮮お宅、或いは僕に関心を持っている人、メディア関係者なら知らない人はいないだろう。即座に彼が何者か思い出します。
 氏は1999年12月4日朝鮮当局に拘束され、2年2ヶ月間「抑留」され、2002年2月12日釈放された。純然たるスパイ活動を公安調査庁や内閣調査室の依頼でやり、それを朝鮮当局に摘発されたのである。
 この経過の中に僕は大きく関わらざるを得ず、一時は「塩見は朝鮮のスパイだ」「杉島を貢ぎ物として売り渡した」「お父さん(杉嶋)はスパイではない」とか攻撃がなされた。
 メディアや右翼は事態の露呈の中で退いて行ったのであるが某党派だけが、杉島さんの息子さんを引っぱり出して来たりして、攻撃を朝鮮批判を絡め、執拗に攻撃を続けた。
 僕らも反撃した。このような事態の現出は、杉嶋さんが僕らの99年11月の訪朝団に参加し、その団の確認を無視し、ルール違反やスパイ活動をやっていたからである。
 我々が彼の正体を訪朝前に摘発できなかった問題もあるが、彼の拘束は彼自身の自業自得であり、彼を組織した公安調査庁の責任であることは明瞭である。
 僕らはほぼ真相を把握したが、人道上の見地で杉嶋さんの奥さん達と連携し、日本政府に陳情したり、朝鮮当局に「早期温情釈放」を嘆願し、かけずり回った。
 しかし、とんちんかんな某党派はこの活動すら足をひっぱてきたりしたのである。
 しかし、僕らの活動も手伝ってか、杉嶋さんは、べにこ船長のように起訴されず、「抑留」の後、人道上、温情(?)で釈放されたわけである。朝鮮側に対日本での外交上の配慮があったからであろう。
 氏はその経過、事実関係を帰国後「文芸春秋」やマスコミに語っている。帰国直後、僕の所にも迷惑をかけたことや釈放について世話になったことについて電話があった。
 僕はそれで一見落着で忘れていたのだが、これを見ると彼は「公安庁」を告訴するらしい。彼がどう行動しようが勝手だが、彼の行動に触発されたのかも知れないが彼にしっかり、押さえておいてもらいたいこともある。又一言だけある人達に言っておきたい、ことも思い立った。

2003/06/28 (土) 仏(さらぎ)氏の追悼会に行く。(2)

 ブント運動総体が何であったか、そしてそれは新しい時代にどの様に止揚されるべきか、このように問題は設定されるべきなのである。
 これと一体にブントの組織体質とは何であり、それはどの様に止揚されるべきか、が問われているのである。
 今回の集まりにもほぼブント関係者が全員集まり、僕は冒頭で挨拶させられ、自己批判の姿勢を明瞭にしつつも、僕なりの事実報告やブント総括を展開した。
 元明大グル−プ、叛旗の味岡達、情況系、荒達、旧統一ブントの千葉氏、旧マル戦系の岩田、望月氏、府川、関西や地方の仲間、仏派、赤軍系ーーー。
 情況社の大下や米田、若山、岩崎等司会をした。
 僕が言いたかったことの一つは、70年闘争に於けるブントや赤軍派とその武装闘争を否定、清算してはならないことである。
 この闘い、ヘゲモニーがなかったら、ブントはブントではなかったのである。
「ブントは死して名を残す。」は第一次ブント指導者、島成郎の名言である。
第二次ブントも又分解した。しかし民衆と民族、人間の名において武装闘争は闘われたのである。
 闘わずして組織が解体すれば不名誉であるが、闘うこと、闘って組織は解体したのである。
 闘ってその上組織が解体せず、存続・強化されるのにこしたことはない。この課題で総括が問われているのである。
 武装闘争を闘ったことそれ自体を否定し、闘いの犠牲ばかり強調し、武装闘争を闘った人、現に今獄で闘っている戦士達を意気消沈させるのは裏切りに等しい。
彼ら、彼女達は民衆の英雄であり、ブントのブントとしての最低限の名誉を守ったのである。
 僕はいつも自己批判する。しかしこの行為は「闘わなかったことが正しい。始めから資本主義をやれば良かった」言っているのではない。
より良く闘うために、より完全に闘うために、自らの限界を自己批判しているのであって、この自己批判はある意味で天に向かって、全ての民衆に向かって発しているのであって、決して「闘うべきでなかった、」として「闘わなかった人」に発しているのではない。このような単純明快なメッセージを闘わなかった人々、清算主義の人々は「自分たちが正しくて、塩見は自分たちに自己批判している」と勘違いしているのである。

2003/06/28 (土) 仏(さらぎ)氏の追悼会に行く。(1)

 第二次ブント8回大会議長、仏氏の追悼会に行く。
 この二次会はさながらブント総会の観を呈し、結構面白い議論が白熱する。
この延長戦で7月2日にはある東京のブントの1グループと会談する。
このところ、望月の追悼会と言い、今回の集まりと言い、この後予定されている7月19日の八木俊樹(京大時代の学生運動仲間)の遺稿集出版記念会と言い、8月15日の藤本敏夫一周忌と言い、集まればブント総括論争となる。
 秋に予定している連赤事件でなくなった山田孝のこれ又34年ぶりの追悼会も多分そうなるであろう。
 時代の大転換の中で、70年闘争・ブント運動をどうしても締めくくることが要求されているのである。
 僕はその総括運動の中心的位置にあることを自覚している。この運動から何が生まれるか、何も生まれないのかはまだ分からない。
 僕なりの総括視点と構想はある。その方向に向け積極的に発言して行く決意だし、その為に、この30年間備えて来たとも思っている。
 「リハビリ終了宣言(紫水会出版・96年)」「幸福論(オークラ出版・2002年)」
「赤軍派始末記(彩流社・2003年)」がその方向である。
 僕はブント(第二次)再建とその解体の直接の当事者であり、責任者の一人としてこの総括論争から逃げるわけにはいかないのである。
 本当は望む所なのである。
 6年前、ブント関係者が僕主催の田宮高麿告別式にほぼ全員集まった。その時は殆どの人が、塩見の責任を追及し、僕をつるし上げた。僕は孤軍奮闘であった。
 しかしあれから6年、もはや塩見の個人責任を追及し、分裂の責任を塩見になすり付けて、こと足れりとするわけにはいかないことが共同主観となってきたのである。
 個人責任分野であるなら僕も他の政治局員や指導的メンバー、ブント同盟員それぞれに言うことがある。
 7/6事件のみが問題にされてきたが、そんなことはないのである。その前の明大闘争の処理の問題もあれば、マル戦派を暴力的に7回大会に来れ無くさせた問題もあれば塩見等赤軍派を簡単に除名した問題もある。
除名した後、組織建設を至上命題にした連合ブントが文字道理、7花8裂で分裂していった問題もある。

2003/06/26 (木) 国際評論家、田中宇(さかい)さんの講演を聞く

あるサロンに出席した後「ロフト・プラス・ワン」に行く。鈴木邦男店長で国際評論家の田中宇(さかい)と言う人が講演していた。丁度日朝関係のトークの時であった。
 若いが切れ味のある、自信たっぷりの論旨であった。基本的には僕と同じ認識のように思われ、僕も飛び入りのゲストとして壇上に上げられ、肝胆相照らした。若いが切れるしっかりした人が出てきたモノだ。頼もしい。国と民族の進路、民衆の運命が直接に問われる時代のこれからは、こんな人がドンドンこれから出てくるのではないか。 

2003/06/25 (水) キョレサラン(同胞愛)運動5周年」に出席する

カン・パウロさんらの、南北朝鮮の統一を目指す「キョレサラン(同胞愛)運動5周年」に出席する。

2003/06/22 (日) 蓮池透さんの講演のゲストによばれる

河合塾大阪南校の文化講座にゲストとして招かれる。拉致家族の会の事務局長蓮池透さんの講演のゲストであった。蓮池さんに「アメリカやスイスなどばかりに行かず、当事国の北朝鮮に行ったらどうか」、9月巧く行けば「日朝不戦」「9/17日朝首脳の決めた“ピョンヤン宣言”の両政府の実行」で訪朝することになるが、「一緒に行かないか」と尋ねた。
 「自分が行った場合は大歓迎されるか、殺されるかである。今は歓迎される時期ではない。」これが解答でした。朝鮮が詫びることはするにせよ、絶対に氏を殺すことはあり得ない、氏の心中は分かるが「構えすぎ」を感じた。

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